今日はとても面白い体験をした。

出勤すると、スタッフ・ルームの台所でインターン生の一人が、赤ら顔をして、顎をかかえながら、とても辛そうな表情をしている。訳を聞いてみると、左側の歯に痛みがある。薬はのんでないという。

即座に掌を擦り合わせ、右掌をカウンターの上にダラッと顔をうつ伏せている彼女の痛い側の顎に、掌を優しく置く。(置いた瞬間、自分の掌と彼女の顎の接点に、フワッとしたものを感じる、、、、、)ボワ~ンとした感覚で、ただ掌を置いていた。10数秒したら、彼女が突然顔を起こし上がる。悲惨だった表情は、パッと明るい笑顔になっていた。

”The pain is gone!" 「痛みが、消えちゃった!」

「えっ! 本当?!?!!」

"What did you do? 「何をしたの?」

「とても悲惨な顔してたので、とっさに手を当てた、、、、、」

"I can't believe it's gone!" 「信じられない、、、、、痛みが消えちゃった!」

と、笑顔というか、とても信じられない体験をした驚き、

瞬間的に痛みがなくなった。(実はわたしには、それを裏ずけるシグナル/信号を観知していた。掌を顎にあてがうと、熱く感じていたのが、数秒すると熱が弾いていく感覚があった。それから数秒して、何かピタッとしたものを感じる。それから数秒して、彼女が痛みが消えたことに気がつく。)

それから後、彼女は痛むことなく、顔を合わす度に笑顔だった。

一ヶ月前あたりから、その歯はうずくことがあったそうだ。


気功の要素の中に、ある程度鍛練すると、自然に“癒しのちから”が、宿る話は聞いたことがある。また、普通知られている気功は、この“癒しのちから”である。

以前、声帯癌を告知される前から、手かざしをしてもらったり、自分でもやっていたことがある。その時も色々な体験をした。気功を始めてから、マッサージを施すことはある。「マッサージ師になったら?」と言われるくらい、まんざらでもない。しかし、手当てをして、即効果がでたのは、初めてである。

最近、気の感じ方が増してきているのは、確かである。そして以前よりも丹田への充実感/充満感も現在進行形に増してきている。

勿論この“癒しのちから”は、気功でなくても養えるようである。たとえば霊気ヒ-リング、アメリカではバーバラ・ブレナンの“Hands of Healing”は、よく知られている。

素直な気持ち、子供のような無邪気な気持ちを持ち合わせている人は、自然に癒しの波動がでるそうだ。

気功でもよく言われることだが、適度な念を従属することで、癒しのエネルギーが放出されるそうである。
念が強すぎる/りきむと気は動かないようである。

気功空間で好ましい状態とは[Distant and Fuzzy/Fuzzy and Distant]空間であることが実証されている。つまり、焦点が合っているような、合っていないような/ボワ~ン感覚である。

このボワ~ン感覚空間に類似するのが、子供達のソフトゲーム空間。よくお店にも、親と一緒に来ている子供が、待つ間ゲームをしながら、時間を過ごしている。全身は動くことなく、ただひたすら指先だけが、動いている。目は、掲示板をひたすら見つめている感じ。身体の筋肉は緩み、目の筋肉さえ弛んでいるように見える。とても、静かで、とても委ねられている空間。

もう一つ、よくスポーツ選手の集中力空間を“In Zone”の空間といわれる。タイガー・ウッズがデビューした当時、彼の抜群の集中力をたとえて使われた言葉である。廻りの音、風の動きなど全てを観知しながら、なおかつ彼とボールと的に、なんの隔たりもない、意識空間。

この空間、熟練したから得られるというものでもないが、この状態/空間をコンスタントに味あうのには、科学することが大事になってくる。その大事な要素とは[緩めること・静かになること・自然であること]であるような気がする。

次へ、、、、、