ぼちぼちと見ているんだけど最初のころのストーリーのつかみづらさはだいぶ少なくなったが、いまいちはまれない。登場人物のせりふの一つ一つが漠然としていて、つかみにくかったりするからと思う。。どうもこのアニメの脚本の人は登場人物の会話の作り方が苦手なんじゃないかと思ったりする。「俺は!」とか「しかし!」というような(後半の考えを話さない)せりふが結構多くて、登場人物がいいたいことを全部話したりしないパターンが多く感じたりする。それが効果的に使われているのなら、(つまりそのせりふをしゃべっている人物の心情がより鮮明に浮かび上がってくる、わかりやすくなるのなら)いいんだけど、あまり効果がなかったりする。後もうひとつ登場人物が自分の哲学や理念を語るシーン。これは一人のキャラクターのセリフが結構長めで、なんかいろいろ長広舌を振るうのだけど、いまいちまだるっこしかったりする。いろんなことをたくさん詰め込みすぎようとするためにどうも意味が伝わりにくくなっている。脚本の人の語彙の選び方が適切じゃないのかなぁ。これは僕の個人的感想なわけだけどほかの見ている人はどう感じているのだろうか。


司馬遼太郎か誰かが行っていたけど、小説は符号だといっていた。作者と読者が半分ずつ符号の欠片を持っていて、それをあわせると物語が完成するのだと。もし作者が提示する符号が少なければ、読者は残りの半分を合わせても完成した物語が見えてこないので苦労するだろう。これはマンガでもゲームでも何でも同じだろう。作り手が独りよがりになってしまったら、受け手は困るということだ。少数のわかる人はわかるっていう作品をつくのなら、一人よがりもいいのかもしれない。でもガンダムはそういう作品じゃないと思う。わかる人だけわかってくれたらいいよ、というスタンスで作られた作品ではないはず。


もっとセリフを練り上げて、登場人物の考えがわかりやすく浮かび上がるようにすれば当然キャラクターの個性がしっかりと出てきてわかりやすくなると思う。確かに今でも個性的だとは思うけど、もっとはっきりとするはずだと思う。登場人物の話していることがわかりやすくなれば、登場人物の個性もはっきりする。そうなるとストーリーにもメリハリが出てくるはず。こういう問題点をクリアすればガンダムシードディスティニはもっと面白くなるはずの作品だ。


わかりやすい=底が浅い作品、という等式は成り立たない。わかりやすくても、深い、面白い、そういう作品だってあるはず。わかりにくい(難解)=深い、というわけでもない。わかりにくい作品は深いのではなく、ただ単にしっかりと練り上げられていないだけなのではないか、作っている側も何を作っているのかよくわかっていないのじゃないか、と思ったりする。もっともこれは完全に個人的見解なのですが。


わかりやすい(わかる)、ということは作品で何を言おうとしているか見ている人が理解できるということだ。理解したうえでなら、面白い、面白くない、という判断はできる。面白いと感じようが、面白くないと感じようが、作品を理解したうえでの判断だから、それは趣味の問題だし、感性があっているかの問題だ。


でもわかりにくい、となると面白い、面白くないという判断を下す前の段階だ。だからなんともいえない。



だから僕はこのガンダムに関しては、わかりにくい部分が多いので、なんともいえない。部分部分面白いなと思うところもあるんだけどね。