クロマティ高校が映画化(しかも実写!)するらしい。アニメ化するときはまぁアニメ版もあってもいいだろうなぁ、とは思っていた。もっともIG(甲殻機動隊の製作会社)が製作しているのはちょっとびっくりしたがそのギャップもまたギャグになっているのでクロマティらしいし、IGももしかして狙ってやっているのか!?などどおもったりもした。アニメ版を見ていてあらためて思ったのはこの漫画は、不条理なギャグで読者や視聴者を笑わせようという魂胆は全くなく、適度に論理的な会話で笑いをとろう、という考えで成り立っているということだった。よく読むと登場人物はちゃんと前のコマのキャラクターとちゃんと会話のキャッチボールをしているし、その次のコマも、前のコマのせりふを引き継いで、会話となっている。だから読んでいて思うのはちゃんとした会話をしているな、ということ。でもその会話をしているのが、不良なのが面白いところだ。それともうひとつ面白いのが、論理的な会話って、経済とか、政治とか、哲学とか、数学とか、そういう話の内容でこそ必要であり、もっともふさわしく、違和感ガないのに、クロマティの場合は、出てくる登場人物の会話は本当にどうでもいいこと(詳しくは原作を読んでください←アニメ版の真似)なのに、それが論理的な会話となっているのが、面白いところだと思うのです。「今日は天気が悪いな」「じゃあ、雨が降るかもしれない」「雨が降りそうだよな。けど、実は今日、歩いて遠くに出かけないといけないんだ。」「雨が降りそうじゃないか。じゃあ傘を持っていかないといけないな。」「そのとおりだ」「でもまて、天気が悪いからといって本当に雨が降るのか?」「雨が降るか振らないか、まずそこのところを考えてみよう」・・・的な論理的な会話で成り立っているような気がする。最もギャグマンガだから、一人くらい突拍子もないことを突然言って論理的な会話を壊す役割の登場人物がいるわけだが、それが「林田くん」だ。


会話のキャッチボールという話になると、コントとか、漫才とか言う話になるけど、クロマティ高校はそういうのとはまた違う。クロマティの場合は、たとえば山口ノボルが後輩に寿司をおごる(ラジオ番組にネタを投稿して採用されたため、お金が入った・・・まぁこういう不良がいるということが奇妙だけど、『見た目が悪なんで不良しているが、俺は本当はお笑いが好きなんだ』ということが論理付けされているのでそれほど違和感はない)すし屋に入ると、なぜかゴリラが寿司を握っている。しかしよく考えろ、こんな店はめったにない。それにねたもうまい。きっと理由があるに違いない。たぶん店主に拾われたゴリラが恩返しのために寿司を握っているのだろう。店主がいないということは病で倒れているに違いない。親切なゴリラじゃないか。・・:

みたいな話を後輩としている。それはそれでありえる話だし、ちょっとファンタジーな感じだ。この辺の会話は論理的だし、薀蓄を語っている感じがする(薀蓄を語るには想像力と何より知識がないといけない。クロマティ高校の登場人物はみな、薀蓄を語り、知識を披露できる。身なりは不良なのに。)

そして店主が戻ってきて、驚く「知らないゴリラが寿司を握っている!」これが落ち。このパターンがよくあると思う。コントは論理的な会話は少ないからやっぱりコントとは違う。漫才よりも論理を掘り下げて話しているから、漫才とも違う。その辺の妙に知的(?)なあたりがこのマンガの魅力だろうな度と思ったりするわけです。


論理的でありえそうな話をみんなでして、「つまり今われわれの目の前で起きているこの出来事はきっとこういう理由で起こっているんだ。」「なるほど、たしかにそうかもしれない」そして読者も納得する。論理的な話で結論が出たのだからなんとなく納得できる。でも落ちでは会話の中で出てきた結論とは全く違う現実が答えとして出る。・・・論理的な会話をする不良なんだけど、その論理は結局現実とずれている。それが面白い。


だから、映画も楽しみ。どうでもいいことに論理的。しかも論理は結局現実とずれている。その会話をしているのが不良。これら3つをフォローしてくれているのなら、僕の中では映画は100点です。それどころか、タイタニックを超える名作になります。l・・・・ってそこまでいうのってずれてますかね?


http://www.kurokou.com/

でキャストが確認できますが、ドラマは見ないんで俳優の名前はもともと知らない。正直このキャストで知っているのって、プロレスラーの高山とお笑いの板尾くらいだ。でもなんとなくメジャーな人は出ていないなという雰囲気はある。