俺の友達に

ゲームが大好きな奴がいる。

彼はばぁちゃんっ子で

ゲームや音楽を

ばぁちゃんに

すすめていた。



そのおかげで

70を過ぎても

気持ちが若かった。



話を聞くと

とても面白い。

このゲームは

ややこしいとか。

これは

面白いねとか。




最近の音楽は

つまらないのが

多いけど

テクノは

音色が新鮮なのが多いね。

みんなどんどん真似しなきゃ

駄目だよとか。





ゲームで対戦したこともある。

マリオカートが

得意で

俺も、友達も

煮え湯を飲まされた。

「なんで俺ら負けるんやか?」

といったら

「坊やだからさ。」

と答えた。

最高に

笑った。




「面白いゲームや音楽があると

夜ふかしして

体に悪いよ」

とこぼしていた。




面白くて

話のわかるばあちゃんという

印象だった。




けれど

数年前なくなった。

知らせを聞いて

仕事のあと

彼と会い

飲んだ。




話しをしてると

ゲームの話になった。






「ばあちゃんが

プレイしていたゲームを

ロードして

やってみると

RPGは

かならず

パーティーのなかに

俺の名前が入っているんだ。

バァちゃんは

途中で飽きてるから

レベルは

たかくないんだけど

俺が

いい武器をもってるのに

ばあちゃんは

弱い武器しか

もってないんだよ。

なんかそれ見てたら

ばあちゃんらしいと

思った。」



それから

どうぶつの森。

主人公が

日記を書くことができる。




その中に

「○○がいてくれて

毎日楽しくて

幸せだ」

と書いてあったので

泣きそうになったよ。

と言った。




ゲームが

単なる

娯楽の

ひとつだという人もいれば

思い出の

中で

切り離せない

人もいる。



つまりは

そういうことだ。