今日は秋晴れで気持ちよかったー。秋はやっぱ天気が一番いい。そんでもって家にかえったら熱々のご飯と旬の秋刀魚があればいうことはない!でもずっと晴ればっかりっていうのもちょっと風情がない。たまには雨もいい。雨が降るから晴天もいいとわかるし、雨もなかなかいいんじゃないの?って秋の雨の新しい魅力を発見!見たいな展開が待っていないとも限らない。雨の風情と秋を場面設定した和歌を見つけた
下紅葉(したもみぢ)かつちる山の夕時雨(ゆうしぐれ)ぬれてやひとり鹿のなくらん 藤原家隆朝臣
これは新古今和歌集の中にある歌。1205年に出来た作品集だから、かれこれ800年。細かく言うと799年まえの作品ですな。だから我々の先祖が平均30で死んだとして27代前のご先祖様が生きてたときの歌。ジーさんの、ジーさんの、そのまたジーさん・・と27回繰り返すだけでOK!いい女見つけて結婚してくれた(だろう)事に感謝。それはよいとして、歌の意味だけど、秋のゆうぐれにしとしとと雨が降っている。散ったもみぢが山を真っ赤に染め上げている。そんな雨の山で鹿がひとりで鳴いている。ていうかんじ。例によって言い訳すると800年前の作品じゃん。日本語ちょっと今と違うじゃん。だからこの解釈、間違ってるかもじゃん。
で、どうよ?なかなかいい雰囲気じゃない?オレは結構こういうの好き。そんな情景目の当たりにしたらずっとみてたいもん。ストレスたまってんのかな?
こういう雰囲気を持ってるマンガはないな。せっかく過去の遺産があるんだから活用しないと。今だに残ってるって事は我々の心を捉えるものがあるわけだし、実際今この歌を見てああ、いいなと思ったのは俺だけじゃないはず。10人はいるかも・・・5人?3人?マァすくなくともオレはこんな雰囲気のある漫画とか映画とかゲームでもいいけど、もしあれば買うよ。
この時代のこと調べたら面白い発見。最近はなんか著作権がどーのこおーのってうるさいけど、この時代はなかった。むしろぱくられたら光栄、みたいな感じだったみたい。そんで自分の作ったフレーズがどんどん広まったらますます光栄みたいなかんじだったようだ。そのほうが尊敬されるみたいな。やっぱ金が絡んでない、名誉とかだからどんどんひろまったほうがいいってことだったんだろうね。そうやってどんどん洗練された歌が出来上がっていく。一人じゃ無理だけど、何代かかけてそういうふうに本家取りみたいにしていくと可能なんだろう。フレーズをかりるっていうことは、その世界観も借りますよ。ってこと。みんなそのフレーズ聞いたら元祖の世界観を連想するんだから。つーことは、『あなたの世界観や設定の中で私は和歌を作るます。あなたは世界で、わたしはその中の住人にしかすぎませんぜ』っていってるわけだ。
今金がらみ。ぱくられたらそのぶん自分ところの儲けつーか、客がもっていかれるつーことだから。歌はそうじゃないしね。でもやっぱ今の時代でもぱくられたらぱくられたで、ああ、名誉な事だ、それだけオレの作ったものが魅力的だったんだな、っていうくらいのやついないのかな。むしろそっちのほうが作品が知られて儲かる、名誉な事だと思うけど。真似した奴は元祖が無いと生まれなかったッ手話しだから、産みの親でもあるわけだしね。ちょうど我々が両親がいないと生まれてこなかったのと同じ。手塚がいたから、藤子不二雄がいた。みたいなかんじかな?元祖が手塚であとに続いたのが(真似をしたりしたのが)藤子や赤塚やらなのか。でもやっぱみんな手塚氏をちゃんと尊敬してるんだよな。自分を形作ってくれたものを尊敬する。それは自分のやっている事を熱中できる大切なものだと思ってる証拠ですな。我々が親うぜーとか思いながらもやっぱ感謝してる。つーのとおなじかなと。我ながらいい子といったような気がする。つーかパクルほうは相手を敬うべしでしょ。知らん顔してたら
何、あいつ?ってことになるから。いうなればリスペクトっていうやつね。YO!
ネット見たら、どう考えても中学生が作ったHPとかでも著作権あります・・・って、おい!器ちいせーとか思ってしまう。真似してもらってその人と交流を深めたほうが世界が広がるだろ!とか思ってしまう。和歌の発展は本家取りっていって、まねをして、さらにそれをまねして、・・・・を繰り返す。であるときものすごいいいものが出来上がる。だから結構似たような作品が多い。真似されるものを作り、それを名誉とする事こそ主流になっていく条件なのかと思う。まーよくワカンネーけど。
ちょっと前に小学生が同級生を殺したニュースあったじゃん。ホームページの文章の中で私のことばをぱくったのが気に食わない、性格悪いよ、とかいってNEVADA
だっけ?それを名誉な事、むしろ気に入ってくれたの、サンキュー位いえる喜びと感じてたら、あんなことはなかった。逆に仲良くなってた。いいところはどんどん真似すりゃいいんだよ。
ということで。また歌の個人的採点をすると
雰囲気 8 なかなかよかった
わかりやすさ 7
世界設定 9
という感じでした。
下紅葉(したもみぢ)かつちる山の夕時雨(ゆうしぐれ)ぬれてやひとり鹿のなくらん 藤原家隆朝臣
これは新古今和歌集の中にある歌。1205年に出来た作品集だから、かれこれ800年。細かく言うと799年まえの作品ですな。だから我々の先祖が平均30で死んだとして27代前のご先祖様が生きてたときの歌。ジーさんの、ジーさんの、そのまたジーさん・・と27回繰り返すだけでOK!いい女見つけて結婚してくれた(だろう)事に感謝。それはよいとして、歌の意味だけど、秋のゆうぐれにしとしとと雨が降っている。散ったもみぢが山を真っ赤に染め上げている。そんな雨の山で鹿がひとりで鳴いている。ていうかんじ。例によって言い訳すると800年前の作品じゃん。日本語ちょっと今と違うじゃん。だからこの解釈、間違ってるかもじゃん。
で、どうよ?なかなかいい雰囲気じゃない?オレは結構こういうの好き。そんな情景目の当たりにしたらずっとみてたいもん。ストレスたまってんのかな?
こういう雰囲気を持ってるマンガはないな。せっかく過去の遺産があるんだから活用しないと。今だに残ってるって事は我々の心を捉えるものがあるわけだし、実際今この歌を見てああ、いいなと思ったのは俺だけじゃないはず。10人はいるかも・・・5人?3人?マァすくなくともオレはこんな雰囲気のある漫画とか映画とかゲームでもいいけど、もしあれば買うよ。
この時代のこと調べたら面白い発見。最近はなんか著作権がどーのこおーのってうるさいけど、この時代はなかった。むしろぱくられたら光栄、みたいな感じだったみたい。そんで自分の作ったフレーズがどんどん広まったらますます光栄みたいなかんじだったようだ。そのほうが尊敬されるみたいな。やっぱ金が絡んでない、名誉とかだからどんどんひろまったほうがいいってことだったんだろうね。そうやってどんどん洗練された歌が出来上がっていく。一人じゃ無理だけど、何代かかけてそういうふうに本家取りみたいにしていくと可能なんだろう。フレーズをかりるっていうことは、その世界観も借りますよ。ってこと。みんなそのフレーズ聞いたら元祖の世界観を連想するんだから。つーことは、『あなたの世界観や設定の中で私は和歌を作るます。あなたは世界で、わたしはその中の住人にしかすぎませんぜ』っていってるわけだ。
今金がらみ。ぱくられたらそのぶん自分ところの儲けつーか、客がもっていかれるつーことだから。歌はそうじゃないしね。でもやっぱ今の時代でもぱくられたらぱくられたで、ああ、名誉な事だ、それだけオレの作ったものが魅力的だったんだな、っていうくらいのやついないのかな。むしろそっちのほうが作品が知られて儲かる、名誉な事だと思うけど。真似した奴は元祖が無いと生まれなかったッ手話しだから、産みの親でもあるわけだしね。ちょうど我々が両親がいないと生まれてこなかったのと同じ。手塚がいたから、藤子不二雄がいた。みたいなかんじかな?元祖が手塚であとに続いたのが(真似をしたりしたのが)藤子や赤塚やらなのか。でもやっぱみんな手塚氏をちゃんと尊敬してるんだよな。自分を形作ってくれたものを尊敬する。それは自分のやっている事を熱中できる大切なものだと思ってる証拠ですな。我々が親うぜーとか思いながらもやっぱ感謝してる。つーのとおなじかなと。我ながらいい子といったような気がする。つーかパクルほうは相手を敬うべしでしょ。知らん顔してたら
何、あいつ?ってことになるから。いうなればリスペクトっていうやつね。YO!
ネット見たら、どう考えても中学生が作ったHPとかでも著作権あります・・・って、おい!器ちいせーとか思ってしまう。真似してもらってその人と交流を深めたほうが世界が広がるだろ!とか思ってしまう。和歌の発展は本家取りっていって、まねをして、さらにそれをまねして、・・・・を繰り返す。であるときものすごいいいものが出来上がる。だから結構似たような作品が多い。真似されるものを作り、それを名誉とする事こそ主流になっていく条件なのかと思う。まーよくワカンネーけど。
ちょっと前に小学生が同級生を殺したニュースあったじゃん。ホームページの文章の中で私のことばをぱくったのが気に食わない、性格悪いよ、とかいってNEVADA
だっけ?それを名誉な事、むしろ気に入ってくれたの、サンキュー位いえる喜びと感じてたら、あんなことはなかった。逆に仲良くなってた。いいところはどんどん真似すりゃいいんだよ。
ということで。また歌の個人的採点をすると
雰囲気 8 なかなかよかった
わかりやすさ 7
世界設定 9
という感じでした。