彼の作品は日常生活を描いたものが多いし、高畑氏自身も日常のなかの凝縮された瞬間を描くのが好きなようです。宮崎駿氏との対談で、宮崎氏が「子供たちに励ましになる作品を作りたい、雄雄しい主人公を描きたい(そこに凝縮された瞬間がある)」といったのに対し高畑氏は「凝縮された瞬間はきわめて日常的なところにもにもある
と思う。だからいわゆる雄雄しさには、ほとんど関心がない」と述べています。(アンメージュ81年6月号)
日常の凝縮された瞬間を見つけるのはセンス、それから努力もあるようです「さまざまな国でさまざまな生活様式がある。そこで人間はどんな生活を営んでいるのかを、いつでもできうる範囲で調べ上げる。・・・その結果こういう風に生きているのか、食べものはこう食べるのかがわかる」(同)と言っているように、しっかり調べてリアリティを画面に出すようにしているようです。つまり、イメージができている、ということです。そうなると世界がしっかりと作られるようです。
宮崎駿氏は小説は好きな場面ばかり何十回も読む。そうすると映像が浮かんでくる、と言っていますが、高畑氏もしらべあげることでイメージをはっきりとさせているのかもしれません。
あまり細かいところまで調べるときりがないですが、画面にリアリティと凝縮された瞬間を出せる範囲まではしっかり調べる、そしてそれを画面に出す事ができる、
というのがセンスなのかもしれません。
だからアニメーターを目指す人はぜひ本をたくさん読むべし!(それも誰も呼んでないようなもの。種ってのはみんなが知らない種であれば独特の雰囲気が出るし)
と思う。だからいわゆる雄雄しさには、ほとんど関心がない」と述べています。(アンメージュ81年6月号)
日常の凝縮された瞬間を見つけるのはセンス、それから努力もあるようです「さまざまな国でさまざまな生活様式がある。そこで人間はどんな生活を営んでいるのかを、いつでもできうる範囲で調べ上げる。・・・その結果こういう風に生きているのか、食べものはこう食べるのかがわかる」(同)と言っているように、しっかり調べてリアリティを画面に出すようにしているようです。つまり、イメージができている、ということです。そうなると世界がしっかりと作られるようです。
宮崎駿氏は小説は好きな場面ばかり何十回も読む。そうすると映像が浮かんでくる、と言っていますが、高畑氏もしらべあげることでイメージをはっきりとさせているのかもしれません。
あまり細かいところまで調べるときりがないですが、画面にリアリティと凝縮された瞬間を出せる範囲まではしっかり調べる、そしてそれを画面に出す事ができる、
というのがセンスなのかもしれません。
だからアニメーターを目指す人はぜひ本をたくさん読むべし!(それも誰も呼んでないようなもの。種ってのはみんなが知らない種であれば独特の雰囲気が出るし)