以前、僕のお店に来てくれた女の子のお客さんが、ネトフリのボーイフレンドという番組の話をしていた


僕は、YouTubeでトレイラーを少し見たことがあったから、タイトルは聞いたことあるなくらいだったのだけど、


リアリティショーって正直、見るのがちょっと怖い


リアルとフィクションを混同した一部の視聴者が、SNSなどで執拗に出演者を攻撃し、不幸な結果を生んだ事例が過去に幾度もあるわけで、出てる人大丈夫なのかな?という不安感がある


もちろん、本人が望んで出演しているのだろうからそこに余計な心配などいらないはずだけど、


そんな事情で、見るのが少し怖かったのだった


ところが最近、たまたま見る機会があり、恐る恐る最初の数話を見た


今回のリアリティショーは、ゲイの世界を描いているということで、世間が期待するステレオタイプと綺麗事がやや気になったものの、


それらは周到に計算された配役とシナリオとがあってのことだろうと、少し離れた視点から眺めていたのだった


ところが、エピソード中盤になるにつれ、これがリアルだろうがフィクションだろうが、どうでもよくなるくらいの没入感に包まれてしまった


いつしか画面のこちら側で僕は、出演者とともに泣き、夢中で応援していたのだった


ときどきインサートされるスタジオのガヤが、現実世界に引き戻してくれるから、それもまたバランスが取れていた


同時にステレオタイプを補強する副作用とあるように感じたけれど。


カメラアングルなどを見ると、シナリオがないとはにわかには信じられないのだが、別にこれがフィクションだろうがかまわなかった


よく映画とかで、本編が終わってエンドロール直前の画面で「これは真実のストーリーである」という唐突な実話宣言がなされる作品があるけれど、「実話」と聞かされると突如として身震いするような感覚を抱くものだ。それだけ僕たちは、「実話」や「実話らしきもの」を本能的に求めているのかもしれない


ならば、フィクションではその価値が下がるのかと言えば決してそんなことはなくて、フィクションであったとしても「実話らしき」設定とストーリーがあれば、大いに感動できる


どんなドラマであっても、「ありそう」という前提が不可欠であって、たとえその設定がエイリアンの侵略であったとしても、エイリアンの実在性そのものに意味があるわけではなく、エイリアンの侵略に対する生身の人間のリアクションに興味があるわけで、『インディペンデンスデイ』を実話だとは誰も考えないが、危機に直面したときの人間の心の動きや人間関係を見て、僕たちは「真実らしさ」を感じるわけだ


僕がリアリティショーを見るのがなんとなく怖かった理由は、シナリオもない真実そのものだという前提があったからだ


だから、人物設定はフィクションで、出演者全員が役者で、シナリオがあるという前提であえて見ることで、リアリティショーに対する不安感を取り除くことにした


のべおよそ10人ほどの男性が一つ屋根の下で1ヶ月ほどの月日を過ごすわけだけれど、ネタバレにならない範囲で書くと、後半からはほぼ2人のカップルに焦点が当てられて物語が展開する


ピークに達するのが最終話の2つ手前くらい


これも見事な構成だから、シナリオがないとは信じがたいけれど、編集により時間軸を入れ替えたり、展開によってミッションを調整したりすれば、こうした展開を作り出すことも不可能ではないのかもしれないと考えれば、やはりこれはリアルなのかもしれないとも思う


たった10人足らずの男性が1ヶ月一つ屋根の下で暮らしたからとて、都合よくマッチングするとも思えないが、しかしたとえばゲイクラブでむかしよくやっていたマッチングイベントなどを思い出せば、たまたまそこに居合わせた相手とカップル成立というシーンはたしかにあった


僕も実際、10代の頃に2丁目で月一くらいでやっていたイベントで、たまたま居合わせただけの話をしたこともない男子の番号を書き、ボックスに入れたら、MCにステージに呼ばれ、カップル成立した経験がある


ちなみにその彼とはその後連絡先を交換し、西武線沿いにあった彼のアパートに何度か遊びに行った


付き合ったといえば付き合ったかもしれないが、長くは続かなかったから、彼氏というほどにはならなかったけれど。


彼は昼間は新宿伊勢丹の搬入バイトをやりつつ、バンドでボーカルをやっていた


一緒にカラオケに行き、当時流行っていたW-inds.を彼は歌った


彼の発声法は独特で、味があった


今まで聞いたことのないような独特な歌声が今でも耳に残っている


それから20年以上が経ち、彼が今どこで何をしているのか、僕には知る由もない


スマホもSNSもLINEもなかった


MNPもないから、ケータイが壊れたら電話番号が変わったし、電話帳登録にも件数に限りがあったから、定期的に整理するのが当たり前だった


メアドもケータイキャリアに紐づけられていたから、定期的にメアドを変更することも日常的にやっていた


お互いにはっきりと告白をしたこともなければ、別れ話をしたこともなかった


なんとなく会わなくなっていったのだった


ボーイフレンドを見ながら、そんな出来事を思い出していた


たまたまそのクラブに居合わせた客の中で、余興のように催されたマッチングコーナーで出会うこともあるのだから、Green Room(『ボーイフレンド』で共同生活する住まい)でマッチングすることがあっても不思議ではないのかもしれない。


シリーズにまんまとハマってしまった。