あまりよく眠れなかったものだから少し心配したのだけれど、当日朝の身体の仕上がりは悪くなかった。
筋トレに睡眠は重要で、筋トレで破壊された筋組織を集中的に修復することで筋肉が構成され、同時に代謝により余計な脂肪が分解される時間が睡眠だ。睡眠中は水分を摂らないから身体から余計な水分が抜けた状態にもなる。朝起きたときの身体の状態のチェックは欠かせない。
ある意味で朝は自分の身体のベストな状態で、一日中過ごす中で水分を蓄えたり重力で下がったりしていく。だから、朝仕上がってないと絶望的なのだけれど、当日、朝の仕上がりがまぁまぁ納得ラインだったから、少しは自信を持てた。
ニューヨーク行きのバスは、たいてい遅れるので、かなり余裕のあるスケジュールのチケットを取っていた。
ボストン始発のバスなので、すでに隣のシートには黒人のおっちゃんが一人で乗っていた。ていうか厳密には窓側が僕の席でそっちに座ってたのだけど、まあ別に細かいことお互い言わないのがアメリカってもんなので、僕は通路側に座った。
長旅である。席につきつつ、おっちゃんと2、3言葉を交わした。ワンカップの似合いそうなおっちゃんである。彼の英語は僕の頭の中の同時通訳ではなぜか関西弁になった。
到着の時点ですでに遅延していたものの、ドライバーが休憩したかったらしく、
5分停車するからコーヒーとか欲しい人は買ってきてねー
みたいな放送をした。林間学校のバスのような緩さだ。
言われると欲しくなる人も多かったようで、ぞろぞろとバスを降りていった
隣のおっちゃんも降りていき、やがてコーヒーを手に戻ってきた。ワンカップじゃなかった……
僕は水抜き中だったので、飲み物は口にしない。というか、食べ物らしい食べ物も口にしていなかった。ただ、それだと身体がエネルギーを作り出すために筋肉を分解し始めてしまうので、水を少なめに使ったプロテインを寝起きに飲み、あとは間食としてプロテインバーをかじった。
バスは雨による渋滞のせいで遅延が拡大していた。となりのおっちゃんは、
なんで追い越していかんねんな!
とぶつくさ言ってたので、僕が彼のほうを向いて微笑みかけると、
せやろ?
みたいな同意を求める顔をこちらに向けたからなんだかおかしかった。
おっちゃんっていう属性は、万国共通なのかもしれない。どうみても人生に急ぎの予定などなさそうな風体なのに、そそっかしい笑
ニューヨークの中心部、タイムズスクエアからも徒歩圏内の場所に、ポートオーソリティバスターミナルというメインのバスターミナルがある。ここは以前、会社に通勤していたときも利用していたので馴染みのバスターミナルだ。全国各地への高速バスが発着していて、各社の運行本数は凄まじい。フードコートもあったりとか、巨大な複合施設のようになっている。
バスが、ターミナルの薄暗いプラットフォームへとゆっくり入っていき、停まる。
ニューヨークに着いてしまった…
僕はなんとも言えない気分になっていた。不安なような楽しみなような。めっちゃワクワクしてるんだけど、緊張もしてる。。
席を立つとき、隣のおっちゃんに、
Have a nice one!
と言った。じゃあねーみたいなごく普通の知らない人同士の挨拶だ。
すると、おっちゃんはめっちゃ優しい顔で僕の肩をポンポンと叩いた。
おっちゃんはなぜ今日僕がニューヨークに来たのかとか、僕が今からとある挑戦に向かっていて何気に緊張してることとか、そんなこと知らないはずなのに、なぜかそのおっちゃんに、
がんばれよっ!
と言われた気がしたのだ。
それが僕の心を落ち着かせてくれた。旅でたまたま隣になったおっちゃん。お互いに深い話をしたわけでもないのに、なぜか肩を叩いた手の温もりで救われたのだった。
時間には余裕があったので、バスターミナルの外に一旦出てみた。バスターミナルの目の前には、ニューヨークタイムズのビルがある。その目の前の大通りを黄色いタクシーが走っていて、僕はここの景色を見ると、ニューヨークに来たーっという思いがして好きなのだ。
マンハッタン内は基本、歩いて移動するのだけれど、雨が強かったので地下鉄に乗ることにした。
オーディション会場として指定されたバーは、バスターミナルから歩いて40分ほど。地下鉄ならば10分ほどで着く。
とにかくまだ早かったのでなるべくゆっくり行きたかったのだけれど、とりあえず会場の場所を確認するために先に行った。
イベントの時間帯は午後10時から翌朝3時まで。10時から11時の間に会場に入ってねと指定されていた。
最初に着いたとき、まだ6時半くらいだったのだけど、すでにお客さんがたくさん入っていた。Googleマップでお店の情報を調べたところ、お昼すぎにオープンして、夜の早い時間帯なんかは普通にディナーをしてるお客さんもけっこういるらしかった。
雨はどんどん強くなる。マンハッタンの摩天楼にビル風が吹き荒れていた。1ミリ単位で完璧に整えたはずのヘアースタイルも、マンハッタンに降り立った瞬間に秒で崩壊し、傘をさしても吹き付ける雨にも濡れた。一度崩れると、もうどうにでもなれ状態になる…笑
さて、そこから時間をつぶすのが大変だった。
スタバにでも入ろうかと探してみたところ、近くの大学内にあったから行ってみると、テイクアウト専門のようだった。コーヒー買っても今は飲めないので、1杯だけ買って飲まずに座席を利用したいだけなのに、テイクアウトなら意味がない。
ならばと周囲のほかのスタバを調べたが、ほとんどクローズが近かった。
ちょっとひさびさだから忘れてたけど、そういえばマンハッタンの飲食店は閉店が早いんだった…
しかも、スタバ以外のカフェなどもテイクアウトの店が多く、あっても外に席が少しだけあるくらい。雨の中それは無理だ。なるほど、ポストコロナとはこういうことなのかもしれない。飲食店はテイクアウトメインになり、店内でウダウダする場所ではなくなったようだ。
たしかに、家賃のバカ高いマンハッタンでコーヒーやケーキだけ出して客に居座られるような業態が成り立つとは思えない。コロナによりテイクアウトが一般化したことは、飲食店にとってはよかったのかもしれない。
そんなわけで、僕は工事中の歩道の庇で雨宿りなどしつつ、10時まで待った。
あまりに待ちすぎて、緊張とかそういう次元じゃなくなってきて、あと数時間いったいどうすんねん状態だった。
雨と風のせいで服は濡れるは髪はボサボサ。しかも寒い。
緊張と言うよりは、もうどこでもいいから雨風しのげる場所に早く入りたかった。
待ってる間、肉乃小路ニクヨさんの動画を見まくったのも心を落ち着けるのに役立った…
ニクヨさん、ありがとう……
不思議なもので、永遠にも感じられる時間というものは、意外とあっという間に経っていく。
10時になる直前に会場のある通りへ移動し、10:01に扉を開いた。
バーにはどこでも入り口にバウンサーと呼ばれるセキュリティーの人がいる。そして隣にはドラァグクイーンの人が座っていて、客を出迎えていた。
そしてそのドラァグクイーンの人に事情を伝えると、奥のスタッフ入り口に行ってねと丁寧に教えてくれた。
バーカウンターの脇を通り、店の奥まで進むと、スタッフ専用の扉があった。
これが、僕がずっと探していたバックドアだ。
ようやくこのドアに辿り着いたのだ。
ドアを開けると、薄暗い空間が広がり、奥から一人の男性が出てきた。
僕は日本でボーイをしていたときからずっと使っている源氏名があるのだけれど、それをダンサーネームとして伝えていたのでその名前を伝えると、
おぉ、よく来たね!
みたいな感じでパッと彼の表情が明るくなった感じがした。
正直、この瞬間に僕としてはなんだかいい感触を感じたのだった。
なんかいける感じがした。
第一印象で決まることというのはけっこう多い。しかも、ウリ専など夜の商売はお客さんと一期一会のケースも多いわけだから、お互いのことをじっくり理解してる時間なんてなくて、基本的には客を秒殺しなければ成立しない。
ウリ専ボーイをやっていたときもいつも思っていたけれど、お客さんが客であることはもちろんなんだけど、客はお客さんだけではなく、マネージャーやお店のスタッフもある意味で客なのだ。
つまり、ボーイならばマネージャーに気に入られなければ客つけしてもらえないかもしれないし、仕事が円滑には運ばない。
だから、外部のお客さんに気に入られることはもちろんだけど、内部の人で特にキーパーソンを見極めて、その人たちの懐に飛び込むことは必須だと思う。
バックドアを開けて最初に出会ったその男性は、事前にメールとテキストでやりとりをしていたカンパニーのボスだった。
年齢は僕よりも上の感じで落ち着いた雰囲気のおじさま。
一目見た瞬間に、勝手に親しみを感じてしまったのだった。夜の世界のボスというのは誰しも、不思議な包容力があるものだ。向こうもウェルカムモードで接してくれているのを感じたし、僕もなんだかここが初めてじゃないような不思議な親近感を持った。
その後、5分ほどの間に矢継ぎ早に仕事の流れをざっくりと説明された。そしてその後、お局的キャラの姉さんが出勤してきたので、ボスから姉さんに紹介され、あと教えてあげてね、みたいな感じで姉さんに引き継がれた。
姉さんはバリオネェで、テキパキと流れるようにいろいろ教えてくれて、ほんとうに頼れる存在。
なんだろう。できるオネェって日本もアメリカもこのキャラだよね。お店に必ず一人はいるタイプの頼れる姉さん。早口でテキパキと教えてくれて、質問するとなんでも答えてくれる、、、みたいな。
そしてイベントが始まった。
オーディションと言うものの、営業時間中に呼び出されてる時点でいきなりフロアに出ることになるだろうというのは当たり前に思ってたのだけど、
バックとかでみんなで踊ってる感じかなぁくらいに思っていたのだ。
姉さんに、
ステージはあそこで、とか、連れ回されながら教えてもらってまじ楽しかった笑
やっぱ、夜の世界好きだわぁ。。
なんかここにしかないアドレナリンがドバるのよ。。
ネット系のエスコートだって、配信だって悪くないけど、やっぱり実店舗があって、オーナーやマネージャーやボーイ友だちがいる場所に出勤して、そういう人との交流があるのがめっちゃ楽しいわけで。。
あぁ、こういうの、高田馬場以来だわ。。
涙出そうになった。。
エモすぎる。。。
もっかい言うけど、やっぱ夜の世界は最高に好き。。
ニューヨークで最初に所属した某Cというオフィスは、マネージャーには直接会うんだけど、個室やバーがあるわけじゃないから、同僚ボーイとは一人しか会ったことがなかった。
だから、東京で最初に勤めた二丁目のお店や、高田馬場の事務所みたいな感じで、マネージャーや同僚がそのへんにウロウロしてるっていう環境がエモすぎてエモすぎて、
ぶっちゃけ、オーディションの緊張感とかなくなって、むしろ受かるとか落ちるとかどうでもよくなってきて、今日の今の今夜のこの状況を朝まで楽しんで帰ろって思ったんよね。もういっそ思い出作りに来たと思って帰ったらええやんと思った…笑
そして終始、なんだかここ初めてじゃないような気がするという、謎のデジャブ感と、自分の居場所感を覚えた。めっちゃ好きだわ……
そうこうしていると、司会のドラァグクイーンの人がテキパキとMCを始め、ボーイさんたちが順番にステージに立ち、ソロで踊り始めたのだ。
僕はよくわからないままフロアを眺めながら楽しんでいた。だって、今夜は思い出作りなんだから、と。
と、しばらくして、MCのドラァグクイーンの人が僕の方に来て、
次、あなた行くから!
と耳打ちしたのだった…
そして、曲が変わると僕のダンサーネームがコールされ、僕はまさかのソロでいきなりステージに上がったのであった。
そのまま1曲分、およそ5分ほど、ソロで踊り切ったのだった…
あとから振り返ると、さすがにあのときの僕は、自分の心臓を褒めたいと思った…笑
自分でもびっくりするくらい滞りなく笑顔を崩さず踊り切った。しかも知らない曲いきなり掛けられたのに、なんか無心に身体が動いた。導かれるように。
僕はこのステージに、いつかどこかで立ったことがあったんじゃないかという妙な感覚に襲われた。取り憑かれたように、僕じゃない人格になっていた。
ステージが終わると、ドラァグクイーンの人がマイクで、
彼は今日から入ったダンサーよ
Welcome to our family!!!
と客に紹介してくれた。ほんと涙出そうだったよ。
familyって言葉がめちゃめちゃ刺さったんよね。
Welcomeって今言ったよね?
ってことはそういうことでいいんよね?
と、僕は内心考えたけれど、イベントはまだ始まったばかりだ。受かるとか落ちるとかそんな話は最後だ。今はやり切ろう。
1曲目のステージを降りると、Nくんというダンサーが、
はじめてなのによかったよ!
みたいに声を掛けてくれて、ほんとに嬉しかった。嬉しすぎて、彼に抱きついた笑(イケメンだったし…)
何気に緊張してたんよー
そう言ってくれてほんとにありがとう
と伝えた。
なんだろう。ほんとうにギリギリのときって、決まって救ってくれるキャラがなぜか必ず現れる。ほんとうに不思議なことだ。
そのあとのことは、正直あまり覚えていない。とにかく他のダンサーのダンスが凄まじかったことと、バキバキお兄さんたちの肉体が美しくて、僕ももっと筋トレして早く近づけるようにならねばという思いと、ドリンクチケットもらったからひさしぶりにビールを1本だけ飲んで美味しかったことと、チップが飛び交う快感と、バックステージでバタバタとメイクや着替えをする高揚感と。。。
そして、もう一度僕のターンが回ってきて、2度目のソロを踊った。緊張が解けた分、自分を客観的に見過ぎてしまって、ちょっと小さくまとまってしまった感があった気がするから、それは僕なりの反省点だった。。
そうこうしていると、さっき声を掛けてくれたNくんが、
次は木曜日◯◯(会場)だけど、来る?
と聞いてきた。
僕はまだオーディションの結果を聞いていなかったから、
もちろん行きたいよ!
と答えた。
Nくんは、
OKじゃあまた会おうね!
今日は俺はもう帰るよ
と、上がっていった。
イベント終了後、バックステージで着替えを済ませ、先輩姉さんから、ここをこうしたらもっとよくなるんじゃないかしら的なフィードバックをもらったりした。もはや結果云々というより、もうすでに一員として迎え入れてもらってる感があって、僕はもはや結果を緊張して待つという感じでもなかった。
だって、なにしろここが初めての感じもしないし、今日初めて会ったばかりの人たちという感じもしなかったからだ。
そして、帰る支度をしたあと、ボスに、
次は木曜だけど来れるかい?
と聞かれた。
僕は、
もちろんですけど、、てことは、、、合格ですか?
みたいに訊ねた。
するとボスは一瞬キョトンとした。
(今更何言ってんねん、あたりまえやん、キミめっちゃ馴染んどったやないかい、みたいな心の声が聞こえた笑)
しばらく間があり、ボスは、僕の名前をわざわざ正式な感じに呼んだ。
そして、
オーディションは合格だよ!
と、伝えられたので、僕はボスに抱きついた笑
本当に楽しかった。そしてまた次のイベントが楽しみで仕方ない。初ステージの感動を忘れたくない。
僕はまだまだやらなければいけないことがたくさんある。
ダンスのレパートリーも増やさなければならないし、筋トレもますますがんばらなければいけない。お客さんを盛り上げるスキルも吸収しなければならない。だから、大変なこともたくさんあると思うのだけど、だからこそ初ステージの興奮と、オーディション合格を告げられたときの感動と、ボーイ友だちが初めてできたときの喜びと、、そしてオーディションの直前はあんなに緊張してたって事実を忘れないように、心に留めておきたいと思う。
どんなことでも、始まりと途中と終わりがある。
始まりはいつも新鮮だけれど、続けているうちにその新鮮さが失われる瞬間というのが必ず訪れるものだ。
だけど、そうしたときにどう振る舞うかとか、どう自分の心と向き合うかとか、そういうのが大切だと思う。
そんなときに力になるのが、最初のころに感じた興奮や感動の記憶であるに違いないのだ。
6年間同棲した彼とも、アプリで初めてやり取りした朝のこと、そこから写真を交換したりするうちに、会う約束をして、彼とうちの近くの路上で待ち合わせたときのこと、そして初めて会った昼下がりのブロンクスの路上。一緒に住むことになってうちのアパートの部屋に荷物を運んだときのこと。夜中にバタバタと持ち込んだもんだから、翌日下の階の住民からクレームきちゃったりなんかもしたんだよね笑
彼の地元にはじめて行ったときのこと。ショッピングモールで高校のときにバイトしてたマクドナルドの店見せてもらったり、、、とにかく、はじめてのときはなんでも新鮮で楽しくて嬉しいものだ。
だけど、悲しいかな、それが日常になってくると、いつのまにか新鮮さが失われていって、あんなに嬉しかったはずのことなのに、イライラしたり不満に思ったり喧嘩したりすることがある。
そんなときに、はじめての日の感動を思い出すことって、大事なんじゃないかなって思うんだよね。
だから、今回のことは仕事の話だから恋愛とは違うんだけど、ここからデビューして続けていく中で、大変なこともきっとあるだろうから、
そんなときにも新鮮な気持ちでちゃんと楽しめるように、
この日のことは忘れないようにしたいと思う。
そんな思いで、この記事を書いた。。
そして、さっき書いた、木曜日というのが、まさに今日で、
いま、アムトラックに乗ってニューヨークに向かってるところだよ。
アムトラックは、順調に1時間以上の遅れで運行している…笑
けど、時間は余裕ありすぎるくらいあるから、大丈夫。。