コロナ禍で
大量閉店だとかというニュースが
あとをたたなくて、

立ち行かなくなったんだね
みたいな風潮があったりするけれど、

本社(経営側)からしたら
かねがね閉めたいと思ってたんだけど

なかなか口実がなかったところに
これ幸いと
不良採算店を閉じてるだけということは
普通に考えて
多いケースだと思うんだよね。


だから、経営側からしたら
短期的にある程度の痛みはあっても
中長期的に見たら
どこかで経なければならない場面で、
それが今だったというだけの話で、

一方で雇用者側からしたら
勤めてた店や会社が閉鎖となれば
多少は焦る部分はあるかもしれないけれど、

そもそも経営者と従業員とで
スタートの段階で取ってるリスクの度合いがぜんぜん違うのだから

従業員の側も
突然会社や店がなくなるかもしれないことを
最初から織り込み済みでないといけないことだよね、とも思うんだよね。

短期的に痛みは伴うけれど
これが資本主義の原理で
こうした歴史を経てきたからこそ
今の安心安全な”豊かな”社会があるのだから

そうした正の面を抜きに
負の面だけで嘆くのは
ちょっとなんていうか
短絡的すぎだよね。

感情に寄り添うことは大切だけど、
感情論が首を絞めるということは多々あって、

もっと俯瞰して見てみると、

自分が大切だと思ってた仕事がなくなったのならば、

新たに大切だと思える仕事を
見つければいいだけなんじゃないの??

と思うんだよね。

仕事なんて
“いい意味で”その程度のものだと思うんだよね。


一途であることは
まじめで誠実であることの象徴に
なりがちだけれど、

しかし一方で
予測される事態に対する次善策を用意していないことは
そのものへの向き合い方という面で
真剣さに欠けるとも言えるわけで、

実際に起きている出来事に悲観する視点と
それでもなんとかなるアイデアは必ずあるはずだという楽観的な視点とは
両立可能だから、

そのバランスはかなり真剣に自分の責任として
自分自身が自分の心を
監視しておいたほうがいいと思うんだよね。

それが救いになると思う。

絶対的悲観材料など、
どこにもない。