2013年1月7日 月曜日
今までの経緯…
8月から11月の入院時、抗うつ薬が入って、幻聴や視線が下がることや不安は消えて元気になって退院した。退院後OTやデイケアにも行けるようになった自信もついたようにみえた。
「なんでもできる気持ちがする」といった。
「毎日楽しくてしようがない」と言った。
剣道を始めた。
ジムに申し込んだ。
婚活ナントカに申し込んだ。(障害者はダメと言われたことで解約させた)
フェイスブックで一睡もせずに友達申請しまくった。毎朝4時頃には起きて友達申請し、400人近い友達作った。
高次脳機能障害の当事者会を作ると全国のいろんなところに電話をかけた。
ほしいものを我慢できずに買い物を沢山した。
…ということが続いていた。
制御をかけると「お母さんはみんな否定する、高次脳~の対応の仕方を勉強したら?」と言った。
抗うつ薬の効果だったのかもしれない。
あまりに酷くて先生にお話して抗うつ薬を少しずつ量を減らしてもらった。
午前中テンション高く午後になると極端に下がって泣く…パターンが続いた。
昨年年末に抗うつ薬を完全に切ったものの感情の上がり下がりが激しい状態が続いていた。
年末年始SIIの感情の波は激しく・・・
いろいろやりたいことはあるのに思い通りにできない現実と向き合うことでの落ち込みやいろんな意味で疎外感を感じていたのかもしれない。
正月中の家族と一緒の時間が長く、その関わりの中で面白くないこともたくさんあったと思うが、妹との口論がやっぱり、一番の ひきがねになったのだと思う。
4日の夕食時、そわそわと体をたて横に揺らして落ち着かない事に「ウザい・・・」と妹に言われた事に「好きでやってるんじゃない!」と大声で言い返した。初めての反論。今まで「はい、分かりました。」って言っていたのは我慢だったのだろう。爆発したことで妹が泣いて家を出て行った。SIIも体を揺らして泣きに入って止めることができなかった。発作の変形ばんのような異様に体を揺らす状態が止まらず、病院に電話をしセロクエル4錠を飲ませて落ち着かせるのに1時間以上かかった。
その夜は薬で朦朧のSIIと一緒にお風呂に入った。SIIは「此処の所お風呂の中で体も洗わず上がっていた…」と言った。「そうか…」言って体をキレイに洗ってやった。フラフラするSIIと一緒に上がった。
相方が新年会から帰ってきた。
部屋に一緒に連れて行ってもらって寝かせた。
SII-の様子や妹との事を相方に話しながら…ここ数週間の事が頭に浮かんで…胸が痛くなった。最近富に涙もろい自分…
5日は婦人科、医大受診やドライブしたり図書館行ったりで気分転換をはかった。
6日は、プチ同窓会とかででかけたりして、大きな不穏もなく過ごせた。
然しながらSIIの、家にいることが嫌だという思いをどうにも 切り替えることができなかった。
夕方になると「シイが家にいると妹やお母さんに迷惑をかける」というような悲観的な言動になり、コーディネーターのカワムラさんに電話をかけて土日の居場所を相談している様子だった。
SIIの、どうにかして家から逃だしたい気持ちを、私自身も、どう切り替えていいかわからなかった。
1月7日 月曜日
相方休みだったので送りは相方…SIは病院OTに出かけた。
11時半の主治医との診察には私が用達をしたあとに行くことにしていた。
SIIと待合室の一角でお弁当のおにぎりを食べて、主治医の診察に一緒に入った。
主治医には、ノートを見ながら4日の経緯を話していた。
自分では抑えようのない症状を抗うつ薬のせいだという思いを先生にぶつけていた。
抗うつ薬の断薬後の気分の波動の上下は少しずつ小さくなっているという主治医の判断で4日の夜の対応と同様にセロクエル3~4錠で様子をみることだった。
診察後の病院の中で既に感情の下降がひどく泣き始めていた。ドライブしよう..と薬が出るまで病院を連れ出し走りながら気分転換を測ったがうまくいかなかった。SIIは、いろんなところに相談の電話をしまくった。思ったような答えをもらえず、車の中で泣きだした。ダメだな..思い家に帰ろうとすると半狂乱のようになって「このまま車の事故を起こして一緒に死んでほしい」と泣き叫んだり、暴れたりした。私は慌てて車をロックして車を病院に向けた。
私は…対応の術がなかった。
SIIは、他の診察室の救急患者の「うるせえんだよ!!ぶっ殺してやる!!」の声に反応して、泣き叫びながら大声で応戦した。SIIは既にもう正常ではなかった。看護士さんが慌てて聞こえない部屋に移したりした。
主治医がきてくれて話したが、そわそわと体を揺らして「入院するしかない、入院させてください」と言って聞かなかった。
ヒルナミンを注射してもらって帰ろうとしたがそれも効かず…
結局主治医も根負けした様子で一泊入院する事になった。
2013年1月7日 18時 入院
一泊で済めばいいが…思いながら私は、そのまま帰宅した。
抗うつ薬の断薬からの立ち直りを通院で行くことは厳しかったのだろうか…?
今回の感情の波の行動で学んだことは、否定しないで本人に納得させる喋り方の学習だったのかもしれない。
「北風と太陽」のお話のように、強く云えば北風に逆らうように心を閉ざしてしまうのだという事を確認しながら「わかった…それで…こういうのはどう?」というもって行き方…学習しただけか…。
2ヶ月で・・また入院か…
