高校の後、婦人警官を目指した。実際、本気でなりたいものだったのかと言われると定かではなく…、父を早くに亡くし母子家庭であったので学校に行きながら給料の貰える婦人警官が手っ取り早い就職口と思えた。そんな詰めの甘さもあって、東京まで試験を受けに行ったが、呆気なく堕ちた。


卒業後、なりたいものが見つからないまま成り行きで決まったみたいな専門学校に通っていた。


真面目に学校には通っていたが何かしっくり来なかった。

盛岡の自炊の下宿屋で沢山の書物の中に入り込みながら自分の本当に遣りたい事が見えずにいた。

何の為に生きているのか…自分の価値さえ見出せずにいた。


生きる意味について思うことが多かった。


これから自分がどうなりたいのか…


眠れずに朝早く、下宿近くの愛宕山の展望台まで駆け上がり、盛岡の町並みを眺めながら『自分が今この場から飛び立ち街の真ん中に爆弾のように落ちても、この街は何も変わりはしないのだ』と漠然と思ったりもした。

迷いの中から抜け出さないまま2年後、私は母が決めてくれた会社に就職することになった。

何時か…その事を職場の先輩に話したら「よっぽど暇だったのだな…」と言われた。

『人は、食べる事でいっぱい、いっぱいで命をつなぐ事に一生懸命であれば、そのような事は考えもしないものだ』と…。

確かにそうなのかも知れない…と納得したりした。

それでも…

「自分が海のものとも山のものとも知れない時点での不安は誰もが一度は経験するのではないか…」と反論も出来ずに心の中で思った。

専門学校を途中で辞める事になった時に校長先生に呼び出され、「あなたは、何でもソコソコには出来る人」というような事を云われた。その言葉の真意が何処にあったのか…今でも心に引っかかっている。

ひとつの道を究めてきた自信の中から出た『究めることの大切さ』を言いたかったのだろうな…と思うこともある。

結局私は、迷いの中にありながら、食べる為の会社に就職したのだ。

頭も悪く、際立った才能も無く、生きる事に不器用で、ただマジメなだけで此処まできた。

そしてこの会社で、辞めずに勤続30年になった。

2008年11月14日(金曜日)