2008年3月20日(木曜日)小雨 のち 曇り

昨日は、近隣(ちかどなり)の葬儀のため一日休んだ。

ジイ(義父)には「毎日ツメテ手伝いに行かなければならなかった」のだと説教を食らったが、結局は仕事の忙しさもあって(相方と話し合い本家さんの了解も得て)葬儀当日のみの手伝いにしてしまった…。


一日だけの手伝いということの申し訳なさもあって本気モードで一生懸命頑張ったさ~。

(朝、8時半から19時半までぎっちり殆ど休み無しの状態。)

内心、『嫌だなあぁぁ…』という想いもどこかに秘めながらのお手伝いであったが、参加してみれば、古めかしい儀式的な自宅での葬儀は、人との関わり方やみんなで作る料理などで学ぶ事がたくさんあるわけで…、すべては経験が学習なのだと思わずにはいられなかった。

実は人見知りの私なのではあるが…

本家さんの奥さんの人柄の良さと、かなりまとまった親類の奥さん方のチームワークの良い働きぶりは手伝う異邦人の私でも、とても動きやすく気持ちよかった。

それ故、大変さの中にも、やり遂げた満足感と学んだことの多さに充実感もあったのだと思う。

会社などの組織の中に居ても上司のリーダーシップや人柄によって気持ちよく働くことができる出来ないって事、あるんだよね…

(どんな小さな組織でもおんなじなのだ。)

きっとこういう儀式的な自宅での葬儀は、どんどん人との関わりが疎遠になる状況の中で・・・きっと無くなっていくのだろう…

本当に、どんどんなくなっていくのだろうな…。


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亡くなった人との関わりが殆ど無かった事は、人の死もあまり大きく心に響かないものだと感じた。人の死の感覚的な重さの違いを想った。

生前の行いがその死後の周りの人のその後の関わり方に表れてくることを思わずにはいられなかった。つまりお悔やみの数やお念仏の人数の少なさに…そんなことを想ったりした。

例えば…私は、何人の心に残るだろうか…

P.S

有能なEさんが頑張ってくれているもののなかなかハケナイ図面ろ捨てて

今日は、帰ることにする…

昨日の疲れが残っていて集中力がイマイチ…


明日、気力を充電してきて頑張ろう爆弾