2007年5月10日(木)うすくもり
昨日、15時半に会社を早退し、SII-を連れてS心療内科病院に行ってきた。
去年入院していたI病院の主治医であったS_Dr。
週に2回、出張で診療に来るのに合わせての受診である。
SII-は、話したい事をメモ帳に書いて来ていた。
一緒に診察室の入り、すぐさまメモして来たページを ピリリリ-…と破いてI_Drに手渡した。
Drは真剣な眼差しで、すばやくメモに目を通し、云々…と頷きながらSII-を見た。
I_Drは、いつものように、脳腫瘍の手術による後遺症の症状であること…、
SII-の実際の頑張りを評価し賞賛しながら…、
『いくらオリンピック選手であっても骨折したら元のタイムでは、走れなくなるのだ…』
…というような事を例に出しながら、やんわりと頑張りすぎないことだ、焦らない事だ…というような事を話してきかせた。そしてしばらく(5月いっぱい)作業を休んで様子を見るように云った。
SII-とI_Drの3人で話した後、I_Drは、SII-を外させて2人で話す時間を持ってくれた。
私と年齢的にも近い同性であるせいか、馴染む部分が多いような気がする、
I_Drは、去年の入院時行われた知能検査と心理検査の結果をカルテのファイルから外して見せてくれた。
先ず、『親御さんに見せることによってかえってよくない場合もある』と云った。
---いうことは、私は見せても大丈夫と判断されたって事なのか…
そう思ってみてほしいという暗示をかけられたのか…
Drはそういって検査データを私に手渡した。
宮城の病院で同じような検査をして障害者手帳を取得する際の診断書に知能や行動は3歳程度とか5歳程度…と書かれていたのでそんなには驚かなかったが、数値的には、ほぼ同等の評価であった。
愛情欲求、依存心…発作の起こり方が愛情欲求によるものであるのかも知れないとは、感じる事がある。前は、夕方今施設でのみ起きている所を思えば、施設に自分を甘やかしてくれる対象を見出しているのかもしれないともとれる。
創造性が皆無…とあった。つまり自分で考えて、次に何を遣るのか考えられないという事である。
それを要求されると、どうしてよいか分からず不安になりパニックになるということだろう。
という事は、結局、就労の希望は、殆んど、皆無という事になるのか…?
術後の状態としては、もっと酷く出そうなのにこの程度で済んでいるのは、もともと前向きで
レベルが高かったのだろう…とDrは云ったが…
どうだろうか…。もともと全てにトロクてぐうたらだった気もする。
結局、習慣付けるしかないのだ。
決められたパターン化した作業として身体で覚えるしかないのだ。
『覚えた事は忘れない…』
望みは捨てまい…。諦めたら終わりだ。
P.S
そんなふうに思いながら一日の仕事を終わろうとした時、会社にて電話が入った。
消防署から…
道路で倒れていて救急車通報あり。搬送中との事。
今は意識が戻っていて心配ないが救急病院に搬送中の旨、向かう様に…という事だった。
相方は、今日は仕事にて飲み会のはず…。SII-は私を指名した。
そそくさと片付けて救急病院へ…
救急でお馴染みの神経内科のI_Dr…救急車で運ばれて世話になったのは何度目だろう。
テグレトールを40錠だったか飲んだ時は泥酔の様相で骨抜きのタコのようになったっけなあああ…。あの時も…世話になった。
『しばらくご無沙汰していました…』「しばらくぶりだね…」とにこやかに挨拶してくれた。
これまでの様子を話しながら「不安が大きいようだね…パニックの症状は見える…」と云った。
施設で作業を中止したのは逆効果だったということか…
今日、施設でも2回発作があり、3度目は家から、私の会社のほうに向かって夢遊の徘徊をして倒れていたところを救急車通報されたらしい。
「まっ…お母さんが見えてからお話を---…」
『あの…私が母ですが…』(えっ…?母に見えないのかよ…)
内心、複雑な思いを抱えながら…内に入っていた。
全ては後遺症としての症状からきているのだと思う。
自分で創造したり廻りの状況で判断したり空気を読んだりが出来ない…考えることができない…ということがネックになる。
如何していいか判らないから不安になる…そしてパニックになる…。
事前の早期対応…
如何、対応して遣ればいいものか…?
