前略
こちらこそご無沙汰しておりました。
あれからもう6年が過ぎたのですね。あっという間のようでも有り、長かったようでもあります。
あれからSII-も、いろんなことがありました。
●大で手術をしたのが2000年(平成12年)1月14日です。8cという左の脳を埋め尽くすほど大きな腫瘍でしたので手術前のインフォームドコンセント(説明)では、悪性の可能性が高い事。腫瘍周囲のダメージ、海馬を切り取ることになるだろう事での記憶が出来ない、痴呆のようになるだろう事、つまり生きても植物状態になるだろうと云われました。
15時間にも及ぶ手術…。長い…本当に長い15時間でした。ただ、助かってほしい…その思いだけでした。いずこの親も同じだと思いますが、もしも自分の脳を移植して助かるものなら命など惜しくも無いとも思いました。
14日が15日になってやっと手術が終わって、成功したと云われたとき…腫瘍が良性のもので、全摘出できたと云われたときは、本当に…執刀医が神様に見えたものです。どんなに感謝しても足りないくらい嬉しくて万歳、万歳…という感じでした。
ドラマであれば手術成功おめでとう…ぱちぱち、The end…で終わるはずです。
然し、実際にはそこから次のステップの始まりなのですもんね。
過酷に長い道のりです。
トモちゃんのお母様のお手紙を読みながらいろいろと考えさせられました。
生かされた者の家族と神に召された者の家族を思いました。
結局、引きずる思いは同じなのだということです。
もっと早く気づいてやっていれば…その思いもやはり未だに抱える後悔の思いです。しかし、結局前に進むしかありません。
SII-は見た目には何も変わりが無く平癒の様相でした。
然し、目に見えない部分で色んな障害が出ていました。
今話題の高次脳機能障害という部分での障害です。
家族はそれほど違和感が無かったのですが、後から聞いた話では前と同じように出来ないことで本人は、かなり落ち込んだらしいです。
記憶の障害、計算に時間がかかること、物事を順序だてて考えられないこと。長いこと集中できないこと(モチベーションの低さ…これも症状)精神的に不安定になりやすい事、等々です。
手術から1ヶ月…2月退院。3月にはバンダナを巻いて復学していました。SII-の場合、左前頭葉から側頭葉にかけて8Cという大きな腫瘍であった為、腫瘍に圧迫された腫瘍周囲脳の部分に障害が現れました。それに伴って心の不安定(前頭葉の障害)と色んなことへの不安でしょうがない思いが心の病として現れました。
障害に気づいて遣れぬまま、高校に復学し、前のように出来ない自分に悩み、パニック障害…、教室に入れなくなり保健室登校…、出席日数の不足、留年の危機…、担任の先生の奔走、夏休み冬休みの課外授業…辛うじて進級。
そして辛うじて卒業。
その頃から精神科に通っていました。『SII-は助からなければ良かったのだ…あの時死んでいればよかったのだ』といって泣きました。泣かれ時は、本当になんと言っていいか分からず、悲しくて…ただ一緒に泣きました。
看護師の夢。失敗。一年の予備校。また失敗…
アルバイト。。。一ヶ月で首になる繰り返し…。順序だてて行動できない行動障害、注意障害、記憶の問題…働いてみていろんな障害があからさまに指摘されるようになりました。病院で看護助手も遣りましたが一ヶ月持ちませんでした。他の看護婦さんたちのちゃんとできないことでのキツイ言葉や諸々結局、首…。その繰り返しでした。
それでも自分で見つけてきて試験を受けて受かったI市の▽病院ではとっても良くして頂いていましたが、冬になって通えなくなりアパートを借りてやって独り暮らしをするようになってから薬を飲み忘れていたようで、その頃から倒れる発作が出始めました。それが原因で首になりました。
そのときが瞬時の脱力発作の出初めです。◎県のテンカンの専門の病院に入退院を2年繰り返しました。月30万から20万の入院費の支払いで本当に大変な2年間でした。その間に同県の○大にも高次脳機能障害の検査をしようと2ヶ月いましたが精神発作が出始めて、強制退院。帰ってきてリストカット1回、大量にテンカン薬を飲んで救急車数回…目が離せない状態でまた◎県のテンカンの専門の病院に再入院。
去年3月退院してきました。症候性テンカンで精神の障害者2級、記憶の障害で知的が認定になったので精神療育手帳取得し、デイサービスに通うようになりました。障害者年金も認定になりました。
週4日、通って入居者とのトラブルからまた精神発作が出始めて、夢遊の徘徊、パニック発作で今度は●大の精神科に連れて行き入院ベッドの空きが無く、I.S病院の精神科に紹介され約1ヶ月入院しました。
昨年12月25日退院して今は週一でデイサービスに行きながら家にいます。過食症の影響で体重が30キロほど増えてトドの様相ですが今は、発作も月に1回くらいと落ち着いています。
色々あります。日々葛藤です。それでも私達家族は出来ことを前向きに考えて進んでいくしかありません。
生かされたSII-の為に出来る事を遣ってあげる事が親の責任と思っています。
トモちゃんのお母様のお手紙を拝見しながら、いろんな事を思いました。
生かされた者と神に召された者の家族を思いました。
トモちゃんのお母様の悲しみを思えば、生かされたものとしていのちを大切に明るい未来を夢に見ながら前向きに頑張っていくことがトモちゃんに対しての供養でもあると感じました。
いつか…SII-にもお嫁さんになる日が来るのでしょうか?
手紙を読むまでそんな事思いもしませんでしたが、それも生きていれば…それも有り…かな…?と明るく…前向きに考えることにしようかと…思えました。
色々落ち込む事もある毎日ですが、トモちゃんのお母様の亡くされた悲しみを思えば…と、手紙を読みながら思ったしだいです。
SII-を忘れないでいてくださってありがとうございます。時々ご主人様よりSII-に『カルマイの父より…』とメールが来てたと…聞いて懐かしく思っておりました。
SII-は少しづつですが確実に進化していると思います。
まだまだ、感情に波がありますが、将来のことを前向きに考えようという、必死の思いを感じています。これからも見守っていてくださいね。
そしてトモちゃんの七回忌…心よりご冥福をお祈りしています。
またお便りします。
トモちゃんの御母様もあまり無理をなさいませんよう、健康第一です。
いつかお逢いできる事を願っています。
ご主人様にもよろしくお伝え下さい。
草々
トモちゃんの御母さんの『もっと遣ってあげられた事があったのではないか…』という思いと『自分のせいでトモちゃんを亡くしたのではないか』という自責の念はきっと一生背負い、引きずる思いなのかもしれません。
現実に直面する困難に葛藤を繰り返す事と、相手のない心の思いと戦いながら生きるのとどちらが大変か …?といえば、それは、きっとトモちゃんのお母さんの苦しみのほうが大きいと思いました。
七回忌を向かえ、『やっとトモちゃんの遺品と向かう気持ちになった』と手紙にありました。きっとトモちゃんのお母さんの時間は、私のそれよりもずっとゆっくりと流れたのだろう…もしかしたら停まったままだったのかも知れない…とも思えました。
時間しか…時の流れしか…、トモちゃんのお母さんの悲しみを押し流すことは出来ないのかもしれません。私は、トモちゃんの冥福を祈りながら、静かにトモちゃんのご家族の幸せを祈っていました。
