性格的観点(母の感じたまま)


幼少より小学校時代

幼少の頃より気持ち的な部分が原因と思われる自家中毒の症状で病院のお世話になることが多かったことから、生まれながらにストレスには弱い子なのだという思い有り。

小学校時代は何でも遣りたがり、出たがりの性格だった。素直で明るく、すべてにおいて積極的で元気な性格であったように思う。それでも、どちらかといえば不器用で反応が遅く、遣ることで要領よく出来ないのが、母的にはイラつく事が多かった。

SII-の幼児期、第一子長女で、家の中での、色んなイライラをSII-の不器用さに、ぶつけてしまうことが多かったことも否めない。

唯一、小学4年生からはじめた剣道では、入賞できるようになっていた。継続が力となって、伸びていくタイプだと思えた。その頃は一度はじめたことは継続しなければならないという固定観念のようなものを持っているようだった。


脳腫瘍の影響

中学生になって、いじめを受けたというのは本人の証言のみである。

事実として、いじめがあったかどうかわからない。

高校1年で手術であった脳腫瘍が何時から出来ていたのかということもあるが、執刀医の話から中学生の時点で既にあったものとするならば、そのいじめの実態が、脳腫瘍の影響による、『いじめを受けている』という思い込みによるものなのか、いじめによるストレスによって脳腫瘍が出来たものなのか、その事実を判別するのは、今になれば更に難しいものと思われる。

性格の変調

術後、特別な性格の変調は見受けられなかった。

記憶の障害、計算やことを前にも増して、起こす反応の鈍さや、注意障害といわれる部分の症状に関しては、歴然として現れていたものと思われる。(診断書、参照)

学校に復帰してからの、パニックのような症状や墜ちこみを考えるとその時の心理的なストレスはかなりあったものと思う。

症候性テンカンについて

2005年4月から12月まで、テンカンかそうでないかの見極めと、SII-に合うテンカン薬の判別のためにテンカンの専門の病院に入院。発作もおさまり、高次脳機能障害の検査と評価のためにT大のリハビリテーション科に入院したが、薬の大幅な変更によるものだったのか、はっきりとした原因は分からないが、発作が頻発し高次脳機能障害の検査は殆んど出来ないで退院した。

BE-TERU病院に再度入院して薬の調整をやり直すことになった。(2005年3月~7月)

結局、最終的にBE-TERU病院では、脳波の波は乱れているもののテンカン発作としての発作は殆んど認められず、擬似発作(ヒステリー、解離性障害の発作)が殆んど結論づけた様子。


I病院、入院中(‘06 11/1612/25)、主治医(S医師)の見解

現在の病状

無意識の中の意識について

どう見てもわざと遣っているようにみえる発作のことについて…主治医は無意識の中の意識---という言葉を使った。例えば、私たちの日常の中のことでもあの時、何故あんな行動をとったのか・・・と思うことがあると思うが、発作の根底にあるものがそういう無意識の中にある意識なのだと・・・。発作について、我武者羅に叱ったり、非難したりするとますます増長して繰り返すようになるだろう、とも云った。それが何を求めての行為なのか、その原因は良く分からないが、此処までの入院中に見られる行為として、自分に注目して欲しいとか、甘えさせて欲しいというような欲求が見られるようだ。「もしもトイレで倒れたらすぐ対応してくれるのか?」と訊いてきてYESといったらすぐに、トイレで発作を起こして見せた、といった。

                

入院時の様子

独特の雰囲気・・・と言った。入院なれした行動。

一日にして何ヶ月も入院している人のような入院慣れした順応の早さを見せた。(先生にもタメ口を聞くような…)長い入院は、精神的に不完全なSII-を良くも悪くも変えたのだと思う。

思えば、BE-TERU病院入院中にどんどん性格の推移を見せた。SII-の本当の人格はどこにあるのだろうか?と思うことが、たびたびあった。薬によるものだと思っていたがそればかりではない長い入院が引き起こす弊害であったのかも知れない。

2年という入退院の間に、自分を逃がす手段として、テンカン発作の有様と夢遊発作を病院の中で学習したのかも知れない。

医師をもだます、信憑性を持ったリアルな症状として…。


*入院中に実際にあった事でのエピソード

SII-の病院に本人への電話は取り次いではもらえなかった。つまり、こちらからは連絡が取れない。こちらから用事がある場合は、担当の看護師に連絡するしかない。そんなこともあってSII-からの電話を一方的に受けて聞いていた。連絡もSII-を介して受けていたら、主治医と話した際、(本人抜きで主治医と私、担当看護師が私の後方に入って二人の面談の内容を一緒に聞いていた)色んな食い違いがあることに気づいた。

先ず、面談をすることがこちらからの要求になっていた事。それはどちらでも良いことで面談はしたいと思っていたので、良いのであるが、主治医の「ところで何のお話だったでしょう?」と言われた時に「ハッ?・・・」と思わず聞き返したしだいでお互いに、相手が切り出すのを待っていたことに苦笑した。

入院3ヶ月・・・と云うことも主治医は一言も言ってなかった様子。

グループホームを勧めたことも無ければ家を出て施設で暮らすことも実は本人が希望しているのだということに気づいた。見守りのある施設かグループホームもある・・・と言ったことにでも、主治医が進めているというように作ったのかもしれない。

SII-は自分の都合の良いようにいろいろ話を造って看護師や家族も翻弄していたようだ。

結構、頭脳犯というか、こちらも慎重な言動をしていかないといけないことを思い知った。

面談後、SII-も交えて話したがその時に、主治医が12月いっぱいの退院と言う言葉を口にした時、SII-は確かに動揺していた。

病院から帰る私に、鍵をかけたドアの前に立って見送りながらSII-の顔に私に対する不信の表情をみていた。

面談の後、帰り際、担当の看護師には謝罪して今後の連絡の取り方について打ち合わせした。

主治医と面談した日、家に帰ってからは、みんなが同じ思いで、SII-に対応していかなければならないのだと思い、出来る限り正確に、主治医との面談の内容を、家族に話した。息子、義父、主人・・・と遭遇した順番に話していき、最後に夕食時、食事を囲みながら更に追加して話した。

一人の力では成し得ないことでも、家族みんなが同じ思いで対すれば、SII-を良い方向に導いていけるのかも知れないと思った。そうあってほしい・・・と切実に思った。

今までの経緯から騙せそうな人に擦り寄っていくようでもある。)


今後の対応について

主治医の見解として色んなタイプの同病状の患者を診ていて共通するのは、悪くなるとどうしようもなく捻くれた、手が付けられない状態になっていくらしい。

それを脱する為には、先ず、良いことをした時・・・、出来たときに、しっかりと褒めて認めてやることが大事だといった。

価値を認めてやること。

良い方にみちびいてやることが出来るかも知れない。口で言うのは簡単だけれども、行動に移すのは大変なことだと思う。「私(主治医)もこうして仕事の上では云えるけれども、自分の子供であったらそうはいかないのは分かります。」と言った。

然し捻くれたモノを元に戻して引き上げてあげる為には、それがとても大事なことなのだと感じた。主治医の言わんとすることはとてもよく分かった。さすがにその道のプロであると思った。よく娘をみていると感心した。

普通の人でも2年も働かないでいたら、もう働く気持ちがなくなる、多分もう普通に働くことは出来ないだろう。・・と言った。

ご両親の心配は、自分たちが面倒を見られなくなった後の娘さんのことだと思うが、施設か住み込みの作業所とかで生活できるようにしてあげたいのだろうが、今の状態では難しいと思う。

普通の人たちであれば我慢したり抑えたりしてくれる部分が施設で暮らすような人たちはそれなりの人であるからトラブルの頻度が高いのだ。然し本人がそれを望んでいるならば、それを目の前にぶら下げたニンジンにして、今通っているデイサービスの施設で人とのかかわりの訓練をしながら、ゆくゆくはその希望を実現するように頑張ろう・・・と言うような方向で行ったほうがいいだろう、と言った。確かに目の前に今、今の目標が無ければ我々でもなかなか頑張りがきかないものであるから、ニンジンも大事なのかも知れないと思う。

(退院してからの家族の気持ち造りとして、主治医との面談は確かに有効であったと思う。)

2007年1月現在、(薬が上手く効いているのか、気持ちも落ち着いているのか)此処2ヶ月発作も無く、いい感じに来ていると思います。

良い所、出来たことを褒めてやる事、存在を認めてやることの大切さを痛感しています。

家族の今の思いとして、今後はデイサービスを週一から始めること。

目前の目標として…   ・人とのかかわりを訓練して行く事。

お習字を続ける事。(本人が遣りたがっている)

体重を落とすこと(エグザス週末土日で検討中)

将来のこと、目標を設定は…授産施設で働けるようになることを最終目標に長いスパンでゆっくりと成長を見守っていきたいと思います。