2006年12月14日(木)曇り


12/13の夜、病院の公衆電話から何時ものように電話があった様子。入院中のmusumeから…。

私は此処の所、残業が続いていて昨日は相方のほうが早かった。相方の手作り夕食を囲みながらSII-から電話があった話が出た。

「初めて『退院したら・・・』と言う言葉をSII-から聞いたよ・・・。」と相方は前向きに退院を考え始めているmusumeの言葉に良い兆しが見え始めていると感じているようだった。

頑張ったこと、出来たことを褒めて伸ばすことがやはりとても大事なのだと云うことを感じている。そして将来の方向付けをしてやること。目の前のニンジン的目標を持たせること。

退院してからの生活でもそのことを心に留めながら接していかなければならないのだと思う。



musumeの病気が、心の許容量の小さな子に育てた私の責任なのではないかと云う思いは、どうしても重く私の心の中にある、取り返しの付かない後悔としてある。

母が不安定であると子供に影響するのだと思う。特に第一子が受ける母の迷いの影響は大きい。

心理学の先生や心療科の先生との診察の中での話しでいつも責められているような気がしていた。そんなニュアンスの言葉が、ところどころに必ず付いてくるのを常に感じていた。


ダイイッシガ、カゾクノモンダイヲイチバンウケヤスク、ココロノモンダイヲカカエルカクリツガタカイ.


母である私が、責められている思いがいつもいつも心の中に有った。

いつも迷いの中にいる・・・と云う、疾しい思いが私の中にあるから余計に気にしていたのかもしれない。


最近の相方は、とってもやさしい人で、私にはモッタイナイくらいの完璧に近い理想的な夫であり、父親だと思う。

未だに情けない母ではあるが、今ならば家族やみんなの力で、『この呪縛から娘を解き離すことが出来る』気がしている。


そうあってほしいという希望的観測の思いをこめながら・・・。