2006年11月27日(月)雨


人の死というのは実は、自分のすぐ近くに在るのかもしれない。先日の自爆で身をもってそう思った。バン!!とぶつかった瞬間の記憶が無い。きっと死というのはその記憶が永遠に無いことを意味するのかも知れない。


朝のシャワーとストレッチの後の自己流の瞑想のとき、目をつぶった闇の中に一点の光が見える。きっとその光の向こう側に私の魂の部屋があるような気がしている。その部屋が死の世界と合い通じる道なのだと思えてならない。

きっと簡単なことなのだ。その部屋に行くのは・・・。深~い、深呼吸と瞑想の中で何度かその部屋に届きそうな気持ちになるときがある。

死は、直ぐ近くにあるのだ。多分・・・


いつかビート武さんが、ある番組に出ていて、「生きることは熱いサウナに我慢して汗を流して、入っているようなもので、死ぬということはそのサウナから出る時だ」というような意味のことを云った。フームと納得していた。きっとそうなのだと思う。

死はサウナから出た瞬間。フー・・・と涼しげな心地よい空気に触れる瞬間なのだ。

それでもその快感は、本当に我慢に我慢を重ねて耐えた人が味わえる快感なのだと思う。

その快感を味わう為に・・・人は、どんな困難にも立ち向かうのかもしれない。

サウナを我慢するように・・・。
我慢の熱風の中から出て、涼やかな心地よい風にあたる瞬間を味わいたいが為に・・・。