中学生になって初めての夏休み中に父は仕事中、土砂で生き埋めになるという作業事故に遭遇することになる。
8月1日、真夏の暑い日であった。母から事故の連絡を受けても、その頃の父の様子を考えると、それほど深刻にも思わなかったような気がする。
酔っ払って自転車で側溝に落ちておでこを数針縫ったとか、その頃は酔っ払っての怪我が耐えなかった。
然し、その怪我はそんな簡単なものではなかった。脳挫傷、脳内出血で意識が戻らず、こん睡状態が続いた。生きても植物状態と宣告された。
兄貴が中3、弟が小3だったと思う。病院の家族控え室に寝泊りした。母と兄弟とムシムシと暑くて狭い家族控え室で、寝苦しくて、眠れなくて、何度も寝返りを打っていた事を思い出す。
兄貴は(今でもそうなのだけど・・・)年は私と二つ違いなのだが、記憶のどの部分でもずっと大人で頼りがいがあって優しい人だった。
非常事態に直面し、母の思いや責任感の強い兄貴の思いはどんなだったろうと思う。弟は未だ幼くて父の大変な状況を知ってか知らずか、病院の中でもヤンチャであった。私は、ただ父が死ぬのを待っている様で息苦しく一日、一日がひどく長かった。
事故から4日目の8月4日に父は旅立っていった。三日目に家に帰されていた私たち兄弟が病院に駆けつけて時、父は既に亡くなっていて、母が顔をハラシ、声を上げて泣いていた。
「父さん、死んでしまったあああ~・・・」と泣き声のまま唸るように云った、泣き腫らした母の顔・・・。酒を飲めば酒乱で、とても仲のいい夫婦には見えなかったけど、その時、母は声を上げて泣いていた。
こん睡状態の中、喉に穴を開けられて痰を取ってもらって呼吸を維持していた、植物状態の父・・・そして死・・・。
実際、酒を飲まなければおとなしい働き者の父であった。
ただ、黙々と働いて・・・我慢して働いて・・・、酒乱で・・・そして亡くなった。
父の死後、中3を頭に3人の子供を残させた母の思い、そして進学を控えた兄の思い、幾許か・・・はかり知れない。弟は未だ幼くて病院から我が家に帰って仏壇の前に白い布を顔にかけられ、寝かされた父と一緒に寄り添って寝たりしていた。死の意味をよくわかっていなかったのかもしれない。
私はといえば、それほど思いは無かった。涙さえ溢さなかった。
酒乱の父・・・正気を失うほど飲み過ぎた翌日、畑で吐いている後姿ばかり記憶に強く残っている。あまり接触も無く、話した記憶も無く、可愛がってもらった記憶も殆んど無かったせいだろう。
ただ、今、自分が父の亡くなった年に近づいて、父の生きた人生を思い、父の本位を思うと、切ない・・・・。
父の死から我が家は母の稼ぎのみに懸かってくる。そして母は変貌をし始める。
農業とドカタ(土建業)、静岡のみかん収穫の出稼ぎの生活から、兼業農家を続けながらのセールスウーマンに変身を遂げる。
業績で給料が反映する仕事ということで、生活を支えるには、それしかなかった、と後で聞いた。
営業という仕事で母はどんどん才覚を表し始めた。母子家庭という中で、不自由なく、育ててもらった。
兄貴は、進学校を断念して工業高校に進んでいた。
