2006年10月31日(火)
快晴 本当に気持ちの良い快晴、壮大に写真でも撮りたいようなケン雲が空いっぱいに広がっていて思わず見とれて立ち止まった。今日は空が高い。
今週は天気が良いのに欝っぽくて寡黙だ。
土日のグランドゴルフの行事の準備で、相方が自分の仕事や同級会(泊まり)で当てに成らず、独りで奔走しなければならなかった、反動か、気疲れか、・・・酷く疲労している。
誰とも会話したくないと思い、寡黙に独りを決めながら、実はひどく人恋しい。
そんな時は、獏氏を・・・架空の誰かを・・・想いひっそりと思いにふける・・・。
心の中に住む獏氏に問いかけてみる。魂の部分に問いかけてみる。
相方を、私はどう思っているのだろうか。
今までの色んなことを思うと、本当は、私は誰かと暮らしたり、誰かを心から愛することが、苦手で上手く出来ない人かも知れない。
それでも、独りは寂しいし、誰かにそっと寄り添っていたい時があるし、そんな時、相方が居て良かったと思うことも確かにある。
実際、相方も私の事をどう思っているのか・・・・?と思うこともある。
心のどこかで、相方は、労働力欲しさとMの家の為に私とMの家を結婚させたのだと思うことがある。結婚して何度も思い知らされた、疑惑と葛藤・・・・。私は、働きさえすればいい人なのだ・・・、文句や愚痴を溢さず、ただ黙って働きさえすればいい人なのだ・・・、と思われているような気さえすることがたびたびあった。
お見合い結婚というのは詰まりそういうことなのかもしれないけれど・・・。
22歳の若い私には、その事に気づく判断力はなかったし、ただ、誰かと寄り添って静かに生きたいと思った。何時も片想いばかりで、誰かに愛されたいと思った。癒されたいと思った。
相方の第一印象はシャイで素朴で寡黙で穏やかに思えた。 然し、現実は、夢や空想ではない生活する事なのだ。積み木崩し状態に現実に引き戻された。
マジキレする般若の形相・・・張り詰める空気・・・いつも何時も相方は、自分の両親と家族であり、私の味方ではなかった。そんな相方に遭遇するたび、疑惑が大きくなるのだった。
Mの家での独りの自分・・・。この中で自分独りが他人なのだと思えた。
今はどうだろう?相方は本当に優しくなったけれど、本心はどうなのだろう?
実際はどうなのだろう・・・?本質的に人って・・・、人の思いって、そう簡単に変われるものなのだろうか?
そして実際、私自身はどうなの?相方に対しての色んな思いを克服したのだろうか?
心から本心で相方を想っているのだろうか?
これから先、Mの家を自分の家と思える日が来るのだろうか?
Mの家のお墓に入る嫌悪がなくなる日が来るのだろうか?
