実は第3子は人生をかけたような子である。
神様の授かりもの・・・と云いながら、 第2子出産後、相方の家の中で私は絶えず男子を設ける事ができなかったプレッシャーに晒されているといる思いから逃れる事ができないでいた。本当は誰もそんなことを思っている家族はいなかったのかもしれないがちょっとした言葉にもそのニュアンスを嗅ぎ取ったりして心を痛めていた。それは時として私に重くのしかかって、一生この負い目に晒されながら生きていけるだろうか・・・と本気で悩むようになった。
そんなある日、私は書店で一冊の本にめぐり合うことになる。”男女の産み分け方・・・”産み分けれることができるのか・・・?と半信半疑その本を買い求めた。子供は二人でいいという思いもあったがもしも男の子が授かるのであれば、最善を尽くしての女の子であったとしてもトライする価値はあるかも知れない・・・という思いが強くなってきていた。その本を読み終えて最後のページに載っていた生み分けの治療をしている病院のリストの中から一番近い隣町の病院を、私は誰にも内緒で一人、訪ねた。もう必死の思いだった。きっと私は、今思えばかなり病んでいたのだと思う。藁にもすがる思いでその病院を訪ねた。ところが「うちでは遣っていません」という。がっかりしていると、別の病院を紹介してくれた。
その病院で私は生み分けの治療(指導)を受けることになる。1988年初めのことである。基礎体温を付けながらカルシウムの錠剤を呑み始めた。
基礎体温は結構、乱れていて、漢方薬も平行して処方された。そして数ヵ月後、医師のご指導の下、初めての指定されたトライ日で私はいとも簡単に身ごもっていた。
そして40週後、3226グラム、49cmの男子が誕生した。「男の子です」と言われた時には本当に・・・ホッとした。
人生の中で本気で思い込めば叶えられない事ってないのだ・・・とその時、思った。
相方もかなり喜んでくれた。息子が生まれて、相方が初めて病院を訪れた時、家族で祝杯を挙げてから来たようで少し酔っていた。私の手を握って「おめでとう・・・」と云って、ニッと笑った。
2番目musumeの三年後の3月のことである。早生まれ扱いで2番目musumeとは学年では2コしか違わなかった。
育児の大変さは相変わらずなのだが、女の子とはまた違った可愛さがあって楽しみながら頑張れた気がする。
前習えをしたことがない(随時一番前の)小さい子だったが、今や、早いもので高校3年生・・・・親思いのやさしい子である。
