上のmusumeは昭和58年5月に生まれた。4100gの巨大児。大きいのと臍の緒が首に巻き付いていたらしくなかなか生まれてこなかったが先ずは普通分娩で正常分娩となった。ドイツのヘルメットを被ったような真っ黒い髪の多さが印象に残っている。大きかったが黄疸が出て保育器に入って1週間過ごした。その間おっぱいは絞って捨てたが産休中は母乳で間に合った。産後8週間で会社に復帰して、絞って冷凍しておいて義理の母に解凍して飲ませてもらっていた。おっぱいが張って痛くて仕事にならず、こっそり絞って捨てたりしたが、疲れと重なって熱が出たりして、だんだんに間に合うほど出なくなった。義理の母も神経質な人だったので時間になると寝ているのまで起こして飲ませていた様子だった。夜泣きもしないでいっぱい飲んでよく寝る子だったので働いている親には親孝行な子供だった。義理の母や父にとても可愛がられて手をかけてもらって育ったのだと思う。それでも、生まれながら神経質な性質だったのだろう。心の部分がかかわっているような病気(自家中毒など)は結構頻繁にやった。

小学校に入り時々私の剣道の練習に一緒に連れて行くようになったら、自分もやりたいという。太っていて運動も得意では無かったので丁度良いということで自分の剣道の先輩方が教えている地元の剣道教室に通い始めた。中学の時、先生のご指導の賜物で(運もよかったのだと思う)剣道の県大会で個人戦で2位になり東北大会、全国大会と出場できた。

運動オンチで何のとりえもなかったので、本人はかなり自信に繋がったんだと思うけど、クラスの中では、嫉みもあったのか剣道部はクサイ・・・から始まり、近づくな・・・触るな・・・状態だったらしい。その頃から成績がガクンと落ち始め、自分で髪を抜き始めた。始めは円形脱毛症かと思った。いじめの事は何も言わなかった。学校で保健の先生をしている高校のときの友人に電話で相談した。月に一度精神科の先生が市内の県立病院に来ているので、行ってみたら・・・といわれてそれから月一でカウンセリングを受けるようになった。それで徐々に髪の毛を抜くのは落ち着いてきて髪も生え始めた。中学卒業を前にした3月になっていじめにあっていたことをmusumeから聞かされた。相方はひどく憤慨して学校に言って話してくる・・・と息巻いたが、musumeは「それが分かっていたから今まで言わなかったのだ」といった。入れる高校が無いくらい成績も底を極めていたが、何とか引っかかって高校に進学した。今思えば、実は中学の時から腫瘍は出来始めていて、その腫瘍の影響でいろんな事が起きていたのかもしれない。

夏の真っ只中、高校総体(インターハイ)の補助員をしていてひどい頭痛と吐き気で病院に行ったのが・・・・思えばそれが確実な発端の症状だった。熱中症か風邪・・・くらいに云われたと思う。病院から嘔吐で服を汚し、点滴中なので迎えに来るように云われて病院に迎えに行ったことを思い出す。それから、秋になっても風邪の症状が取れたのに頭痛が取れない・・・と訴えるようになった。中学の時、いじめにあった時にも頭痛を訴えた事があったので、もしかしたらそちらのほうかと思うようになっていた。本人が自分でその時の先生に電話して受診を予約した。そのときの先生は、もうすでに県立病院へは来なくなっていたので、もともとの一関の病院に相方が仕事を休んで連れて行ってくれた。最初、偏頭痛のようだが念のためCTを撮ってみましょうといわれて撮ったら左脳を埋め尽くすような8cm大の腫瘍が見つかって・・・・それから相方からあわてて電話があった。近くの県立病院に転院。私も会社からあわてて病院に直行。其処でもあまりの大きさに、岩手医大に紹介され、出来るだけの検査をして転院することなった。そして年が明けて岩手医大での手術と決まった。手術の日を待つ半月間の間、いろんな事を思った。もしも私のこの貧弱な頭(脳)でも、入れ替える事ができてmusumeが助かるなら自分はもう十分生きたので何の迷いも無く自分の命を投げ出せるとそのとき本気でそう思った。義理の母が癌で亡くなって7年後の事である。

2000年1月14~15日、15時間という長~い手術でmusumeは生還した。本当にあの時のことは一生忘れる事は無いだろう。執刀医が神様のように見えた。あんなに感動した事は無いくらい本当に体中の力が抜けてしまうほどホッとした事を今でも鮮明に思い出す。


高校球児ほど伸びたタワシのような頭にバンダナを巻いて高校1年の3月には学校に復帰していた。進学コースにするか就職コースにするかの選択で手術前の選択だったので進学コースにしていた。

まもなく高校2年になり進学コースに進んだ。そこで色々な事が前のようにはできない事に本人は気づき始める。いつもの事ながら親には何にも言わない。然し、学校から色々情報が来る。みんなが自分のことを特別な目で見ているようで、(自分のことを何かうわさしているような気になり、パニック症状で)教室に入れなくなる。保健室にいるようになる。授業がますます分からなくなる。授業日数が足りますなり進級できなくなりそうで何度か校長室に呼ばれた。

その時の担任の先生は、本当に一生懸命で何とか進級させるために長期休みも授業日数を埋めるべく付き合ってくれた。そのお陰で何とか3年になれた。3年のときも色々有ったが2年の時の担任の先生と保健の先生が、かなり心の支えになってくれたのだと思う。何とか卒業させてもらった。看護師を目指し高等看護学校を受験し失敗。2年間予備校に通ったが2年で断念。その後医療事務を目指して通信講座を受けて何度もトライしたが合格できなかった。

あきらめて、ラーメン屋さんでアルバイトをしたが一生懸命なのだがメニューが覚えられない事、オーダーがスムーズにいかない事で迷惑をかけていた様子を後から聞いた。個人病院に勤めて1ヶ月で首になった。記憶が上手くできない事、計算に時間がかかること、次に何をすればいいかという順序立てができない事、つまり怠けているように思われ、嫌味を言われるパターン。

その後勤めたIWATE病院だけは本当に良心的に出来るようにスケジュール表を作ってくれて時間ごとに必ずやるべきことをメモしてくれてやらせてくれたがそれでもかなり迷惑をかけていた様子。それでも本人はいっぱいいっぱいだったようで、冬になり雪が深くなって独り暮らしをするようになって、卵巣脳腫で手術して、その後、契約を打ち切られる・・・のせとぎわに抗ケイレン薬を飲まなくなって発作がおき始めてそれがばれて結局解雇になってBe-Teru入院。

そして1年半・・・・今に至っている。


昨日、musumeの高校の時にお世話になった担任の先生に7年ぶりに会ってきた。musumeがいまだに繋がっていてそれに便乗してメールをしたら繋がって3人で会う事になったしだい・・・・。

メールアドレス---norimakiz 云々・・・36歳・・・

ますます理知的で凛として可愛くて、とても素敵になられていた。7年前にお逢いした時よりずっといい感じでいい女になったなああ・・・マジに惚れそうになった(笑)
人は生きてきた過程でどんどん顔ってできあがってくるのだな・・・と感じた。

人って本当に不思議なくらい何かの因果のように繋がっている、と感じる事が有る。本当に不思議なくらい・・・・。

いろんな人とのかかわりの中で支えられたり、助けられたりしながら、自分が生かされているのだと感じる