終わったことが嬉しくて | どうでもいい話

終わったことが嬉しくて

卒論の中間発表が終わりました。やっと楽が出来ると思いきや、月曜日までに卒論の目次および、掲載する図表を提出しなければならないとのことです。ふう…グルーミーな予定が続きます。まあ発表よりは気が楽なのでがんばります。多忙なときは「襟裳岬」のこのフレーズを聴くと癒されます。

日々の暮らしは嫌でもやってくるから 静かに笑ってしまおう

そうだそうだ、笑ってしまえばいいんだ、そう感じることができたらしめたものです。どことなく自暴自棄な雰囲気がただようのですが、根幹部分で軽妙に生きている気がしませんか? ちなみに僕は吉田拓郎バージョンしか聴いたことがないので、森進一が歌っているのを聞いてもこういう心情になるかどうかは保障いたしません。

ところで突然ですが、現在僕のマイブームは「マッスルパス」です。マジックが好きな方にはわかると思いますが、手のひらから指一本使わずにコインを飛ばす素敵な技です。
必死の練習の結果、ほんのちょっとだけ飛ぶようになりました。それだけのことが嬉しくてたまりません。

歳を重ねるごとに、ちょっとしたことで感動を覚えるようになりました。なぜでしょうね。大人になるということはそういうことかもしれませんね。そうだとしたら素敵じゃないですか?

そんなことを言いながら、頭の中では

「おそらく、人は成長していく過程で世の中の醜さや不安定さを知るため、すぐそばにある確かなものを発見することで心が躍るのだろう。それがどんなにくだらないことであろうと…」

なんて厭世的になっています。ひねくれてますね。でもこのままひねくれ続けたら、どこかで限界がきて「ぱちん」ともとに戻るかもしれません。ゴムみたいに。そういう感じにとらえるのなら「いずれ元に戻る一過性のもの」という意味を含んでいる気がします。可愛いじゃないですか。

実際「ひねくれる」という言葉はそんな可愛い使われ方をしませんけれど。だいたい「ふてくされる」や「すねる」が可愛い感じに使われますよね。個人的には「すねる」が一番好きです。どうでもいいですけれど。

そんなこんなで僕は類語が好きです。類語大辞典がすごく欲しい。初任給で買いたいと思っています。冗談です。そこまで熱望はしていません。しかし少なくともPS2よりは欲しいです。

文章を書くうえで同義語はすごく大事です。それは何度も同じ表現を避けるためです。例えば

彼女はその言葉を聞いて笑った。その笑いは、彼女の周りにいたビーチサンダルにかっぽうぎというスタイルのおばさんにも伝わったのか、おばさんも笑い始めた。僕もたまらず笑った。

こんな文章はどうですか? 僕はなんだかまどろこしくて嫌です。「笑った」や「彼女」「おばさん」が多用されているためにもたもたした感じがぬぐえない。これがこうなら?

彼女はその言葉を聞いて破顔した。そのほころびが、傍にいたビーチサンダルにかっぽうぎといういでたちの熟女にも伝わったのか、そのおばさんも嬌声を上げた。僕もたまらずおなかをかかえた。

…これもあんまり上手とは言えない文ですね。まあいいや、いろんな表現を知っているにこしたことはないってことです。