5年前の今日、“新潟県中越地震”(M6.8)が起きた。新潟県では、その40年前にもM7.5の大地震、“新潟地震”があった。
1964年、東京オリンピックが始まる4ヶ月前、我々自動車部員は中距離遠征と称し、トラックの運転練習に出かけていた。新潟方面へ向かい間瀬海岸で昼食をとり、休んでいるときその地震は起きた。道路端に止めていた“680T”と我々が呼んでいた、トラックが揺れている。
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昼食休憩をした間瀬海岸
この直後トラックが揺れているのを呆然と眺める
津波が来ると白砂は水の底
程なく海の水が引き始め、見るとそれまで知らなかった岩が出てしまい、逃げ遅れた魚がピチピチ跳ねている。面白がって魚を追っかけていた我々は、そのうち潮が押し寄せ、危うく岩場に取り残されるところだった。やっとの思いで逃げ帰り、ふと気が付くとさっきまで“飯ごう炊飯”をしていた砂場も水に隠れている。
津波で潮の引いた岩場
再び引いた海水に、未練がましく魚を探していた。
消防自動車が来て、岩場の我々に何か叫んでいる。
地震と津波の初体験でした。
翌日、新潟市街地へ向かって走っていると、道路は割れていたり異様な雰囲気だ。黒い煙も上がっている。後で分かったが昭和石油のタンクが燃えていたのだ。
飛行機がまくビラを拾って読み、始めて大地震が起きたことを知った。
道路が渋滞して来たので、予定を変更して迂回する。
それでもまだ事の重大さを知らず、帰ったのは翌日だった。
部としても保有していた2台のトラックを使って、救援物資の輸送に協力した。