赤坂離宮は建設後100周年を迎えた。このたび、「国宝に指定された」、と新聞に出ていた。


赤坂離宮といえば、東京オリンピックを思い出す。


当時、東京オリンピック組織委員会が赤坂離宮に置かれていたこともあり、裏の空き地が我々の溜まり場所であった。

というのは、VIPはハイヤーを利用、それ以外の内外の大会関係者が足として使う車の運転手をしていた。当時所属していた自動車部から派遣されたアルバイトである。部の学生を使ったのは、大学生なら多少とも言葉が分かり、車の運転ができるという理由からだったのではないか。

車はトヨタ、日産というメーカーが新車を提供していた。我々は“尻下がりデザイン”の日産ブルーバードだった。

各競技会場などへ行く以外は、溜まり場で待機し、指示があるのを待っていた。



悪童どもは良いことは考えないで、悪さをするのは何時の時代でも同じだ。


いずれも新車で、走行メーターも上がってないブルーバードを、横一線に並べエンジンをかける。チェンジをローにいれ車を走らせる。人は急いで車から降り、ボンネットへ上がり、速さを競うのだ。まっすぐ進まないと窓から手を入れハンドルで調整する。


それくらい空き地は広かった。



あの赤坂離宮が迎賓館に改装されたと聞いていたが、このたび「国宝」になったという。

オリンピックの東京誘致もままならなかったが、「オリンピック」と聞くと想い出すことである。