JR今治駅前に建っている「猿飛佐助像」の碑文には次のようにある。



猿飛佐助と山田阿鉄


明治・大正時代、空前の大ブームとなった大衆娯楽小説「立川文庫」の原作者は、今治市出身の山田一族である。そして、その執筆の中心として活躍したのが、山田阿鉄である。

立川文庫は明治44年から約13年間に196巻出版されたが、どれも人々の心を捉え、爆発的な売れ行きであった。中でも大正3年に発売された第40巻「忍者名人猿飛佐助」は大ベストセラーとなった。ここに、“忍者といえば猿飛佐助”といわれるほどのスーパースターが誕生したのである。その後猿飛佐助は、真田十有士とともに映画やドラマ、漫画などに次々と登場し、後世の文壇にも多大な影響を及ぼしている。

日本全国、猿飛佐助を知らない人はいないといってもよいだろう。時代を超えて人々の心の中に生き続け、これからも語り継がれていくことだろう。

この偉業を成し遂げた山田阿鉄の遺骨は、今治市の観音禅寺に静かに眠っている。



子供の頃、血湧き肉躍らせた、「猿飛佐助」と今治市との関連は以上のとおりである。

この像の作者名は分からなかった。