11月18日の愛媛新聞は、最古級の遍路案内書 愛媛大発見 と報じた。

その資料を所蔵していた同大日本史研究室の内田九州男教授が講師を務めるという明徳短大の公開講座に出席しました。

「四国遍路と作法の変遷」についてお話をされましたが、その中で面白かったものを1つ。


私が遍路をした時、仏前勤行は般若心経・光明真言・大師宝号を唱えたがこれはひとえにお参りの仕方に決まりはない、と自分勝手に理解し、みようみまねでやっていたことだ。


般若心経は仏前勤行次第には

明治13年の「四国88ヶ所道中独案内」の中で始めて登場したが

明治25年の「四国霊場記」では除かれ

明治35年の「88ヶ所御詠歌 四国道中記」では再び登場している。

現代の「四国遍路 作法とお経の意味」では12番中8番目に唱えることになっている。


江戸時代以前、般若心経がその仏前勤行に加えられたことはない。

現代は般若心経全盛である。神仏分離令や66部の禁止・托鉢行為の禁止など、明治新政府の宗教政策、浮浪者対策により四国遍路は危機を迎えた。がその時宗教側が選んだのが、般若心経を中心にして遍路の宗教性の明確化、という方向であったと考えられる、という教授のお話であった。


いろいろ興味のあったお話のうちの1つです。