だからスノボやってるヤツは・・・ | ザビエル・カトーの「いい加減に生きてます」

だからスノボやってるヤツは・・・

 
冬季五輪前半戦の日本のMVPは間違いなくコクボ君だろう。

服装問題で、オトナが注目しなかったスノボ・ハーフパイプなる競技にみんなが注目した。

この宣伝効果たるや、ものすごいものがある。

朝青龍の時とパターンはまったく同じで、品格や礼儀の問題が先走ることで、メディアが盛り上がるという誠に見事な戦略である。

日本人は競技の成績より、日本人としてのアイデンティティの問題の方が、大いに興味があるのだ。

まあ、それは当然のことだから、メディアが服装を突くのは正しい選択である。

なんか、コクボパパまで引っ張り出されていたが、年齢が51歳。

そうか。オイラに子供がいたら、コクボ君のようだったかもしれないのだ。

そう考えると妙に親近感が沸いた。

自分が子供を育てたら、どんな子になっていたのだろう。

公式の場で「個性」を貫く子か。品行方正の優等生か。


スノボ自体が市民権を得て久しいが、それにしても五輪を見るかぎり、「異端」の匂いがまだプンプンするのが面白い。

他の競技が体育会系の規律を感じるのに、スノボはなんか後ろに流れるプロモビデオなんかも、ちょっと笑っちゃうくらい今までのスポーツ競技会場のイメージとかけ離れてる。

ユニフォームだって、それこそ、コクボ君の着こなしの延長にあるようなイデタチだし、コーチのジャケットも白いもこもこの羽毛みたいだし、NHKの放送用語も、ナウいというか、お年を召した方にはチンプンカンプン。

しかもやたら「個性」という言葉を連発しており、スノボ競技はいかに個性的であることが重要なのかよくわかった(^^ゞ

オイラは、「個性」とか「自分らしさ」とかいうセリフの連発はいかがなものかと思っているので、やっぱスノボって変?とかいう気持ちも出てくるわけである。

いや、オイラに限らず、なんとなく日本人の68%が違和感を感じてるので、今回のような騒動が勃発するわけだ(笑)

しかし、実際のスノボ愛好者が身近にいれば、彼らがいかに清く正しい人物か、あるいはフツーの人間かということにすぐ気付くであろう。

スノボ愛好者にしてみれば、今回の騒動で、偏見の目で見られたくないな、というのが正直な気持ちではないか。

しかし、これは多くのスポーツや文化が通る試練のようなものだ。

以前の五輪で、里谷多英がモーグルで金を取ったとき、NHKの解説者が「タエ、すげえ!」とか叫んでいた。

まあ、金を取っちゃったから、それで許されたが、コケててもあの調子で解説してたら、袋叩きだったろう。

あれから随分時がたって、上村愛子が悲劇のヒロインになることで、モーグルはやっと異端を脱出したと思う。

そして日本人選手が「実力で」金メダルを取るには、あと8-12年はかかるだろう。

新しいものが認められて、定着するまでにはけっこうな時間がかかるのである。

今や、大学で専攻学科ができたりしてるビートルズだって、1960年代、あれが好きだなんていう人間は「不良」だったのである。

エレキギターも持ってるだけで不良だ。

なにも、日本に限らず、世界的にそうなのだから、人類というのはそういうサガ、本能を持ってると解した方がよいだろう。

だから、コクボ君は今回、見事に先陣の役目を果たしたのである。(もし、服装問題がなくて、同じ成績だったら、いかにしょっぱい結果だったろうか)

あと8年後にはコクボ君に憧れてスノボを始めた礼儀正しい若者が、あと一歩のところまでいくようになり、国民に認知される。

上村愛子の役割を果たすわけだな。

それから、8-12年でいよいよ日本のスノボ界も黄金期。メダル獲得、というストーリーでどうだろうか。


しかし、なんでも、スキーやスノボ人口は減少してるらしい。

ネコも杓子も「スキーに連れてって」状態だった我々の若い時分からすると寂しいかぎりだという。

どうか、日本でも文化・スポーツとしてスノボが定着することを、今回の騒動をみて、切に祈った次第である。


χανι@67.8k





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