きっと松の内が過ぎたから・・・
オイラは読書も嫌いだが、メルマガはもっと嫌いだ(笑)
ヒトのブログ読むのはOKなんだけど、メルマガって勝手に送ってくるのがイヤだし、商売っ気が匂うのもイヤ。
だから、もちろん自分からは積極的には登録なんてしないが、友人やクライアントさんだと解除するのもなんだし、読まないけど届いたりはしている。
そんな嫌いなメルマガを面白く読む方法はないかと考えて、少し前にちょっとした実験を行った。
申し訳ないが、実験台にしても文句を言いそうにない(むしろ喜びそうな)、セミナー屋で友人の水野浩志
さんのメルマガをターゲットにした(^^ゞ
で、その方法とは、毎日勝手に得点をつけて、発信者に送りつける、という手である。
「今日は、65点。 共感はしないが、理解はできる」、とか一言添えて評価してやるのである(笑)
ただメルマガを受け身で読むのは大変だが、点数をつけてこちらから働きかける、というのは、オイラの場合、効果テキメンで、からこれ1ヶ月くらいは読んで、採点を毎日送ることができた。
まあ、辛口の点数だし、一般読者が高評価の時に、低い点をつけたりするので、水野さんは楽しみながらもブツブツ言ってたが(笑)
先月半ば、水野さんたちと飲んだ時に、「まあ潮時かな」と思えたので、それを機会に採点をやめた。
そしたら、途端に読まなくなった(笑) (うーん、水野さんにはどっちがよかったんだろう)
そんなわけで、水野さんのメルマガは毎日届いてたが、まったく手付かずだったのだが、きのうのメルマガのタイトルがすごく「呼んでる」気がしたので、気になって久しぶりに読んだ。
表題は「人は変わらなければいけないのか?」
水野さんは仕事柄、「人は変化成長するもの」というのが言い分だった。
そして、オイラは、「変わらないことこそすばらしい」というのが信条。
だから、飲み会ではよくこのことが話題になり、いい意味でバトルとなって盛り上がる。
そんな水野さんが、この表題をつけてきたから、オイラは気になったのだ。
その内容は、「変わらない派」のオイラも十分に納得する内容で、「97点。 100点でもいいけど、今後さらに良い文章が出てくると困るから」とコメントを送った。
しばらくして、じきじきに水野さんから返信が届いた。
そこには、お礼とともに、「年末に父が急逝して・・・」と書かれていた。
実は、水野さんたちと忘年会をやった時も、父上の容態は芳しくなかったそうで、その2日後に亡くなられたとのことだった。(そんな時になぜ我々と忘年会でヒートアップしてたかは、後で氏のメルマガを読むとわかる)
父上の死については、別途メルマガに記されてたのだが、既述のとおり、オイラは彼のメルマガを読まなくなっていたし、たぶん、セミナー仲間も水野さんの気持ちを思って、ブログに書いたりしなかったのだろう。
そんなわけでオイラは、まったく父上逝去を知らずに年を越してしまったのだ。
きのう、水野さんのメルマガを読み返して、父上の思いや水野さんの思いを知るにつけ、きっと「正月が明けるまでは、ザビエルには黙っておこう」という何らかのチカラが働いたのだと思わざるをえなかった。
年末や正月にオイラにがたがたブログで書かれるのは、父上も本意ではなかろう。
でもまあ、正月明けたし、これからも息子をよろしく、みたいな感じで、あっちの世界からサインを送ったのではないだろうか。
いや、オイラにはそう思えるし、そうなのだ、とさせてもらっている。
父親の子供に対する思いというのは、子供には最後までわからぬものかもしれない。
オイラもザビパパがどう思ってるのか、具体的にはよくわからんし・・・
でも、去年もある方の死に際して書かせてもらったが、「『愛』は人の死に際してだけ見ることができる」とオイラは思っている。
水野さんの父上の冥福を心よりお祈り申し上げたい。
水野さんのメルマガ。
・人は変わらなければいけないのか?
・父が逝き際に見せたもの
χανι@68.6k