DVD「善き人のためのソナタ」 | ソフィアの森の「人生は、エンタテインメントだ!」

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音楽が好きで、映画が好きで始めたブログですが、広告会社退職後「ビジネスの教訓は、すべて音楽業界に学んだ」を掲載しました。

2007年2月に公開されたドイツ映画で、その年の米国アカデミー賞外国映画賞を受賞した作品です。


なぜ、公開時にこの作品を見逃したのか?


私自身の映画に対する思いや審美眼に強い力がなかった証拠です。


そのことを強烈に恥じるくらい、この作品に深く心を奪われました。


映画は1984年、旧東ドイツの国家保安省で密告された市民をヴィースラー大尉が厳しく尋問するシーンから始まります。


国家に深い忠誠を尽くすこのヴィースラー大尉が本作品のもう一人の主役です。


旧東ドイツは盗聴と密告によって体制を維持した監視国家。


こういう国で、芸術家たちはどう生きるべきか?


その狭間で活動する劇作家ドライマンが本作品の主役です。


作品の感想を述べる前に1984年前後の旧東ドイツの状況について軽くおさらいをしておきます。


第二次世界大戦後、東と西に分断されたドイツのうち、社会主義国家としてソ連の後押しを受けながらスタートしたのがドイツ民主共和国(旧東ドイツ)です。


映画の背景になる1984年前後は経済政策が行き詰まり、国民は疲弊し、社会主義政策が破綻寸前となり、国のあちこちでほころびが生まれ始めた時期です。


一方、東ドイツの後ろ盾であるソ連では1985年にゴルバチョフがソ連共産党の書記長に就任し、ペレストロイカ政策を推進していました。


こんな政治環境に危機感を抱いた東ドイツの指導者たちは、国民の監視を強め、今まで以上に締め付けを強化したのです。


何だか今の北朝鮮みたいですね。


そんな時代背景の中、物語が展開していくのです。


国家保安省の局員ヴィースラーは、劇作家のドライマンと恋人で舞台女優のクリスタが反体制であるという証拠をつかむよう命じられる。ヴィースラーは盗聴器を通して彼らの監視を強めるが、自由な思想を持つ彼らに次第に魅せられ・・・・・・・・・・・


ヴィースラーが心変わりするきっかけの一つが、ドライマンの親友であり、政府を批判して仕事を干された演出家イェルスカがドライマンの誕生日にプレゼントした一冊の楽譜「SONATE VOM GUTEN MENSCHEN」(善き人のためのソナタ)にあります。


イェルスカが自殺したその夜、ドライマンがピアノで弾くこのソナタをヴィースラーが盗聴器を通じて聴いている。


そこでドライマンがクリスタに語ります。


「レーニンはベートーヴェンの“熱情ソナタ”を批判した。“これを聴くと革命が達成できない”と。“これ(善き人のためのソナタ)を本気で聴いた者は悪人になれない」と。


だから、原題が「The Lives of Others」(他人の人生)なのに邦題が「善き人のためのソナタ」になったのですね。


上手くネーミングしたものです。


このタイトルが最後の最後に上手く使われる。


とにかく脚本が練りに練られているのです。


サスペンス、ヒューマン・・・・・エンタテインメントな要素もふんだんに盛り込まれています。


ただひとつ、少々の不満を言わせてもらえれば、国家に忠誠を尽くすヴィースラーの心変わりがきちんと描き切れていません。


だから「善き人のためのソナタ」を盗聴器でヴィースラーが聴いているシーンでも今一つ心に響きませんでした。


ただし、それを補って余りある満足が得られる作品でした。


心変わりしたヴィースラーは上司の命に反して、嘘の報告書を作成し、ドライマンを助けてしまうのですが、そのことがバレて党の上級職員から郵便の仕分け人という単純労働に移されてしまいます。


しかし、4年後の1989年にベルリンの壁が崩壊し、翌年、旧東ドイツは西のドイツ連邦共和国に吸収されてしまう。


その時、ヴィースラーは・・・・・・・・・・


その時、ドライマンは・・・・・・・・・・


これが「善き人のためのソナタ」の実に上手いエンディングに繋がるのです。


このエンディングはいい!



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