大人の男が惚れる男とは・・・・・・・・・・
少し寝坊ができる週末の朝、今日もNHK連続テレビ小説「おひさま」を寝床の中で見ていた。
最近連続テレビドラマというと、この「おひさま」しか見ていない。
それは先の戦争を背景にした時代設定と丁寧な脚本、そして井上真央を中心にしたキャスティングの妙が視聴者に安心感を与えてくれているからだと思う。
そして、私はこの番組を見ながらいつも泣いている。
家人から「また泣いているの?」と言われてしまうけど、仕方ない。
戦争は地震のような天災とは異なり、人災だから余計やりきれない気持ちになるのは私だけではないと思う。
戦争のために起こった幾多の別離は天災とは異なる哀しみを人の心にいつまでも宿らせる。
戦争を二度と起こしてはならないと考えさせるドラマだから、私は「おひさま」を見るのだと思う。
ところで、久しぶりに小説を読んだ。
伊集院 静作の「いねむり先生」だ。
- いねむり先生/伊集院 静
- ¥1,680
- Amazon.co.jp
数日前某大手新聞社の広告局長と会食した折、この本の話題で大いに盛り上がった。
「大人の男はナゼ酒を飲むのか?」
「博打ほど、男を鍛えるものはない」
そして
「大人の男が惚れる男って」・・・・・・・・・・・
そう、大人の男が惚れる男、それが「いねむり先生」こと、色川武大(いろかわたけひろ)なのだ。
伊集院 静氏はこの「いねむり先生」に最大の賛辞を与え、敬愛する師匠としてこの本を書いのだろうか。
それは、「本物の男」というものを世の中に知らしめたかったからかもしれない。
色川武大は純文学の作家として「直木賞」をはじめ、いくつもの文学賞を受賞している大家なのだが、我々の世代では、麻雀の神様、「麻雀放浪記」の作者、阿佐田哲也として名高い。
当時、彼の麻雀理論をむさぼり読みながら麻雀に耽った若者が私の周囲にも多かった。
彼らにとっては「雀聖」とまであがめられた人だ。
麻雀に捉われず、ありとあらゆるギャンブルに精通し、中でも競輪こそ人生最大の醍醐味を味あわせてくれるギャンブルだと公言していた。
小説「いねむり先生」とは、作者と「いねむり先生」が旅打ちという地方の競輪場を巡る賭博の旅に出かけ、そこで出会ったヤクザな人たちとの物語、そしてそんなヤクザな人たちに慕われる「いねむり先生」の愛すべき素顔を描いた作品である。
伊集院 静氏には私も思い出がある。
昔、西麻布に「バイキン」というバーがあった。
オーナーは国民的大歌手Kのマネージャーを長年務めたOさん。
このOさんが少し変わった人で、客を客とも思わない横柄な大男だったが、やたらスポーツに詳しかった。
そのためか、当時全盛だった新日本製鐵釜石の選手などもよく来ていた。
この店に、当時40代の伊集院 静氏やイラストレーターの黒田征太郎氏等が出没していたのだが、いわゆる無頼派の知識人が集まる店として夜毎賑わっていた。
私も彼らの話を聴くのが楽しく、頻繁に入り浸っていたのだが、後に「癌」のため早世した美人のママさんがいたことでも有名なお店だった。
店にはいつも緊張感が漂い気が抜けなかったが、その緊張感がまた心地よかったのだろう、噂が噂を呼んで多くの知識人やスポーツ選手が集まった。
サッカー全日本の監督だった岡田武史氏が店に入って来たときには、みなで「岡チャン」コールを大合唱した思い出もある。
この「バイキン」という奇妙な店名の命名者が伊集院 静氏というわけだ。
店名の由来はよく分らないが、飲み代の精算をすると、いつも料金が倍になるので「バイキンになった」という噂もあった。
私は幸いにもそういう経験はなかったが、気に入らない客にはそうしたのかもしれない。
あのOさんならやりかねないと思った。
この店で会う伊集院 静氏は、背の高い堂々とした体躯で、眼光鋭く、いつもギャンブルやスポーツの話に熱中していた。
近くに寄るのも怖い雰囲気があった。
最近、こういう大人に出会うことがないのが淋しい。
伊集院 静氏が作家としても頭角を現し始めた頃で、いわゆる無頼派の作家として、女優・夏目雅子の夫だった男として、そして女優・篠ひろこと付き合う男として世の中の注目を集めていた。
大人の男から見てもカッコよかった。
「いねむり先生」こと色川武大はこの伊集院 静氏が敬愛したほどだから、よほど魅力があったのだろう。
こういう先生に会ってみたい。
さらに、大人の男とギャンブル、大人の男と酒は切り離せない。
そして、大人の男は決まってシャイである。
伊集院 静氏はさらに続ける。
本物の大人とは「損得で物事を判断しない」ことが重要であると。
だから、本物の政治家とは、気に入らないことがあるとやたら周囲の人をどなり散らしたり、他人を簡単にペテン師呼ばわりするような軽い男ではなく、本物の大人として「個人の損得で判断せず、国民のために奉仕する心が強い人」でなければならない。
そんなことまで考えてしまう、とても魅力的な本でした。
いやあ~
この読後感の心地よさは何だろう。
そして、この小説は次のようなやさしい言葉から始まる。
作者が「いねむり先生」に向ける限りない愛情がこの文章には満ち溢れている。
その人が
眠っているところを見かけたら
どうか やさしくしてほしい
その人は、ボクらの大切な先生だから