妻と猫と薔薇
我家が猫好き一家であることは、このブログの読者ならご存じだと思います。
そして、家人が同居している母と共に短歌、俳句のファンであることもここで紹介したことがあります。
毎月発売されている「NHK短歌11月号」に掲載されている桑原正紀さんという人のエッセーを家人から薦められ、読んだところ涙が止まりませんでした。
猫好きの人ならばよく分るエピソードなので、ここでその一部を紹介します。
妻が倒れて五年半が経った。脳動脈瘤破裂という即死してもおかしくない大禍であった。
どうにか一命はとりとめたものの、一週間ほど生死の境をさまよい、その後も半年近く意識が戻らなかった。
その間、私は妻の手足をさすったり、耳元に好きだったモーツァルトを流したり話しかけたりして、常に脳への刺激をこころがけた。
そんなとき、ふと思いついた。妻は猫が好きで、当時自宅にも二匹の猫を飼っていたのだが、その声を聴かせたらどうだろうと、早速その夜、猫の声の録音にとりかかった。
二匹といってもペルシャ系の雑種である牡猫レオは殆ど声がでない。もう一匹の牝の三毛猫ミーコは、ふつうの猫に倍してよく啼く猫だった。
妻によくなついていて、妻がおしゃべりをするとまるでわかっているかのごとく耳を傾け、ときおり声色を違えて相づちを打つように啼いていたものだ。
そのミーコが、レコーダーを向けると意を察したように走ってやってきてしきりに啼くのである。
意識まだ戻らぬ妻に聴かさむと夜中に猫のこゑ録音す
涙ぐましいほどに、ほんとうに、一生懸命に啼いた。たっぷりと5分も啼いてくれたであろうか。
次の日、私はレコーダーを持っていそいそと病院へ向かった。
耳元に再生しやる猫のこゑ聴きとめて妻はうす目をひらく
感動的だった。猫の声がしたとたんに瞼の下で眼球が激しく動き、薄目を開けたのである。
それから私は、機会があればミーコの声を聴かせて、妻が反応するさまを見てよろこんだ。
しかし、そのミーコも、それから二年も経ったころ急に元気をなくした。
かつて妻を呼びて啼きたるその声のかすれて弱し野の風ほどに
お腹をさわってみると大きなしこりがある。これはリンパ腫で、もう先は長くないと医者は言った。
臨終(いまわ)のとこ迫れる猫を抱きやりて「ありがとうね」といくたびも言ふ
ミーコの死を私は妻に告げられなかった。
庭先に埋めてやるとき、病院の妻の枕元から花を持ち帰り、一緒に埋めてやった。そして、その上にピンクの薔薇の苗木を植えた。
夜の庭に穴掘りて猫のなきがらを埋めたり「母ちゃんから」と花添へ
翌年の五月、その薔薇は大きな花をつけた。まるで妻へお返しをするかのように。
今でも読み返すたびに涙がでてきます。
猫というのは、実によく人の話を聴いています。
時折、この子は本当にわれわれの話を理解しているのかもしれない、と思うときがあります。
そして猫は、お世話になった人のために尽くします。
我家で一番猫を可愛がっている家人が体調を崩し横になっていたりすると、我家のキャラは心配そうにそばに来て頬ずりをしたりします。
ミーコはリンパ腫でなくなりましたが、我家のスミレはリンパ腫と診断されながら、奇跡的にも回復しました。
これも定められた運命です。
それにしても短歌というのは素晴らしいですね。
今の私にはとても、とても、難しくてできませんが、その時々の瞬間を選りすぐった言葉で表現するわけですから、感情が凝縮し、読む人の心を打ちます。
いつの日か、仕事をリタイアし、時間に余裕ができたら取り組んでみたいと思います。