地元の人もあまり知らない名所(パール判事の大亜細亜悲願之碑) | おばけかいじゅうのたわごと

地元の人もあまり知らない名所(パール判事の大亜細亜悲願之碑)

お盆を過ぎましたがいかがおすごしでしょうか?

今回はある石碑をご紹介したいと思います。

その石碑は広島市中区小町の本照寺(写真参照)というお寺にございます。

場所は平和大通りを南側に少し入ったところですが、わかりづらいので「本照寺 広島」で検索してみてください。

ということで、中に入ります。

門をくぐったら右に曲がると、今回紹介する石碑があります。

 

この石碑は見てわかる通り「大亜細亜悲願之碑」と書いております。

どういういきさつでこのような碑ができたのかご説明します。

 

今からさかのぼること72年前の昭和20(1945)年8月15日に我が国は第二次世界大戦で敗戦しました。

その翌年に極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判がありました。
その中で、裁判長含む11人の判事が、当時の我が国の指導者を裁いたのですが、唯一全員無罪を主張したのがインド代表判事のラダ・ビノード・パール氏(通称パール判事)です。

 

そのパール氏が昭和27(1952)年11月に広島に来ました。

その際、広島の原爆慰霊碑に参拝したのですが、慰霊碑の碑文『 安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから』を見てパール氏は疑問を感じたそうです。

その発言を聞いたこのお寺の住職さんがパール氏を訪ね、 『過ちは繰り返しませぬから』に代わる碑文を書いていただきたいと懇願しました。

その懇願に快く応じてできたのがこの石碑です。

碑文にはこう書かれております。

 

(碑文左側)

激動し変転する歴史の流れの中に

道一筋につらなる幾多の人達が

万斛の思いを抱いて 死んでいった

しかし

大地深く打ち込まれた

悲願は消えない

 

(碑文右下)

抑圧されたアジアの

解放のため その厳粛なる

誓いにいのち捧げた

魂の上に幸あれ

 ああ 真理よ

 あなたは我が心の

 中に在る その啓示

 に従って 我は進む

 

一九五二年一一月五日

ラダビノード・パール

右上はベンガル語だそうです。

 

下の台座部分には英訳もあります。

 

生まれも育ちも広島ですが、この石碑があることを知ったのは一昨年でした。

ですので、機会があったら訪れてほしいと思います。