阪神大震災から15年 | おばけかいじゅうのたわごと

阪神大震災から15年

あの地震から早15年。


あの時は広島にいて、強い地震だったなとしか感じませんでしたが、

その後テレビを見てびっくり。


「神戸が大変なことになっている!!」


とりあえず会社に行くけど、そこでも地震のことでもちきり。


普段ビデオ放映用に使っているテレビに、

急遽アンテナをつないで、テレビ放送を見るようにしていました。


午前中はメンテナンスでお客さんのところに行き、

作業が終わり帰る報告をするときに、

主任から・・・


「神戸に行ってくれ!!」


「えーー!!」


とりあえず会社に戻る。


主任から、今回の出張は神戸の地震での状況調査要因として行ってきて欲しい。

とのことで、家に連絡して母親に宿泊用のものを用意して会社に持ってきてもらう。


そして、関連会社の人と一緒に広島を出発し、一路岡山まで行く。


とはいえ、新幹線は使えないので在来線で行く。

(ちなみに山陽自動車道は山陽姫路東ICまでで途切れ、高速バスもまだ未発達だった。)


長い時間かけて夕方岡山駅に到着。

岡山支店で打ち合わせをして、今日は岡山で宿泊。


翌日は新幹線が姫路まで開通。

とりあえず姫路まで行き、チャーターしたマイクロバスに乗る。


そこから、十数時間バスに揺られる。

というのが、渋滞している上に途中から緊急車両のみ通るように規制したので、

明石から北へ迂回するような形をとる。

明石→西神中央→鈴蘭台→神戸市中心部というルートだった。


途中までははたから見て何も異常が無いように見えた。

しかし、鈴蘭台から南下して神戸の街中に入った途端、

テレビで見たような状況が目の前に広がった。


これは酷い・・・


結局、神戸支店に着いたのが夕方だった。

支店内もロッカーがドミノ倒しのように倒れていた。

その日は説明だけで夕食を済ませた後は寝ることになった。

宿泊はモチロンそこの会議室で、毛布を敷き詰めての雑魚寝ある。


でも、夜中に下からドスンという音とともに揺れ、あまり眠れなかった。

そう、余震である。


翌朝、洗顔などして朝食。

夕食もそうだが、朝食もカップめんがメインである。


その後、神戸支店の人と一緒にお客さんの所に行く。


そこも、事務所の中が大変な状況で、

もちろんロッカーもドミノ倒しのように倒れていた。

でも、電気は通っており、機械も動くことができた。

点検したが幸い大きな異常はなく、

あっても部品交換して直る程度だった。

とはいえ、ビル本体と非常階段の間の隙間が大きかった。


帰る時に、3階部分がぺちゃんこになっているビルを見たり、

地面が隆起した歩道を歩いたりして、地震の爪あとを体感しました。


会社に戻ったあと、別の人と交代になるとのことで、神戸を後にしました。

正直、逃げるようにして帰ったといった方がいいかもしれません。

本当に怖かったです。


あれから15年。神戸は復興しましたが、あのときの記憶は忘れないでしょう。

ということで、阪神大震災に神戸に行ったことを話しました。