変革の世紀、或いは手を引かれ導かれた先にあるもの
ご無沙汰してます~
まつぴつ日記はひとまず後において、先日の話。
パリに行って来ました。
パリに行って来た日記もひとまず後において、その寸前と寸後の話。
旅行に行く前日、とあるイベントに出て、コンテを踊った。
Killing Fields
赤いクメールを題材にした同名映画と
坂本龍一の曲「変革の世紀」にインスピレーションを受けて作られた作品。
先生が丁度その曲に出逢った頃、それを使ったコンビネーションをクラスで踊って、
そこから流れるキング牧師の「I have a dream」の演説に引力を感じて、
珍しく曲名を先生に訊いた、
そんな経緯があったのだが、
当初身の回りのごたごたごたごたで参加を断念したのが、件の「Killing Fields」だった。
機会を与えられながら出られなかった舞台を観る程、
複雑な感情に駆られる事はない、といつも思う。
結局その舞台は(本人達の感想とは裏腹に(笑))客席で見守る私に
ダンスそのものへのモチベーションと、
この曲にどうして這ってでも参加しなかったのかという悔恨と、
その+-両極の感情を遺した、そういう存在だった。
やー以後だいぶ先生やらメンバーやらに駄々こねて、
やれもう一回踊れのやれ今度やる時は私も出たいのと言っては、まあ困らせたもんで。
みんな苦笑しつつあーだのんーだの流してくれていたが。
が。
求めよ、さらば与えられん。
私の引力が無理矢理引き寄せたか、結局逃しても尚ご縁があったのか、
兎も角として、これをもう一度踊る機会がこのナンバーに降って湧いた。
のが、先日のイベント。
一も二もなく参加を表明して、夏明けの発表会が終わるのを待ち、
漸くリハが始まって一ヶ月半。
あっという間の練習の末、本番。
正直、久々にマイナスの残らない舞台だった。というのが、印象。
慣れないゴムっぽい床はうまく掴めなかったし
強い照明でよく見えない部分もあったし
動きは硬かったと思うし
MCや観客との距離感その反応もよく掴めなかったし
挙げて数うべからず、では、あるが、
自分の真上に一筋の灯りが落ちる曲の冒頭、ふっと自然に身体が動いて
自分が自ら動いているような周りのメンバーに導かれるような仄明かりに操られるような
兎も角も、そのまま無意識に最後まで行って気付いたら袖で何かMCのコメントに笑ってる自分とみんながいて
要は良く覚えてない、と。
覚えてないが、舞台にいる間冷静と高揚が入り交じっていたそれだけは鮮明で、
もしや、ちょっと好い舞台だったのではないか、と漠と感じたりして。
思うに、それは
時間をかけて形成されたメンバーの空気感、
作品の根底に流れるテーマへの理解と共感と体現、
新しい環境で我々の取り組みを見せる意欲と挑戦、
そこに迷わず進んだ自明の結果ではないかと思う。
以前に巧く見せるとか格好良さとか表面的なものを求めた時、昇華の先を見失って納得いかない舞台を踏んだ事があった。
そこへの邪念が取り払われたその無心の中に見えるものがある、そのことを実感できたのが、今回の何よりの収穫。
パリに出発したその直後、米大統領にオバマ氏が当選した。
観光に浮かれた私はテレビを大して目にしなかった(見ても解らなかった…)が、
いつもどこかでキング牧師の彼の演説が流れたという。
先生はま、偶然か。と濁してはいたけれど、
なかなかどうしてそうとも言えないのかなと私は感じている。
変革を求める米市民はその揺らぐ生活や経済に重きを置いているが、
我々にも常に内なる変革への欲求がある。
ダンスをやっていると、人や何かの事件や或いは自分が見た何らかの作品が影響となって
自らの内に思わぬ変化が起こる事がある。
それが仮に空回りに終わったにしても、気の所為だったにしても、
そこに上るべき一段の階段を見出したらば、当人にとってはまごうことなき変革に、ほかならない。
で、ずっと同じ、或いはそれ以上の感覚と刺激を求めて手当たり次第に進んでは見付けたり見付けなかったりを繰り返す。
安定を求める事を止めたら、上り始めた川は最後まで上り続けなければならない。
上昇と、昇華。
ハタラクヒト
バスある所に必ず物売りさんあり。
この人々から買ったコカ飴は高山病にも効く。
飲み物屋さんの昼休み。
観光スポッとある所に露店あり。
セーターとか帽子とか人形とかカーペットとかもう何でも。
彼等も、リャマも、トリも、モデルさん。
彼は、モデルさんでも酋長でもインティでもない。
お巡りさん。
12角の石という観光スポットに落書きしたワルモノがいたので、見張りをしようということになったのだが、
何故か調子に乗ってこんな服装をしている。らしい。
写真には写っていないが、普通の服の見張りもまたいて、現地ガイド氏によればこの二人は何だか仲が悪い。らしい。
南米六日目~標高高いぞ
クスコの地を踏む前に。
リマ市内見学。
彼の、ペルー大使公邸。
物騒な事件などとは凡そ無縁の、静かで広々とした場。
リマを離れ、ついにクスコへ。
飛行機が着陸する前から既に街並が見える。
山肌に赤茶の家々が張り付く。
前日の晩にガイドさんお二人と呑んだのであるが、その折に話題に出た面白いらしいと言う現地ガイドさんの案内のもと、クスコを巡る。
嘗てインカの神殿であったところ。今は教会。
クスコは標高が高い。
マチュピチュよりも高い。
二言目には水を飲め飲めいうのでよいこに飲みつつ廻るわけだが、はっきり言ってまるで高山病は出ない。
旨をガイドさんに言ってみると、
「お酒に強い人は高山病なりにくいのよ」
…あーどうりで。
ふらふらする心配の一つもしてみたい…
食後の自由時間にぶらぶら町中探索。
可愛いお嬢ちゃん方が二人、可愛く遊んでいるので写真を撮る。
…付いてくるよ~
この子等は、観光客のチップで稼ぐモデルさんなわけで、
よく周りを見ると遊んでいるような子供達はみんな遊んでいるのだが、周囲を見回しては写真を撮ろうとする人に寄っていく。
親はこういうお金で割と暮らしてしまうらしい。
世界遺産の観光地の、現実。
お嬢ちゃん方から逃れ、お土産屋さんに入る。
イカ空港でスペイン軍対インカ軍のチェス(ルールは知らない)を買ってうはうはしていたのであるが、
ここには。
コンドル対リャマのバックギャモンが。
たかがゲームの癖に、物凄い迫力がある。
どっちが強いかな。
コンドルだろうな。
その後は、更に標高の高い場所にある遺跡まで行く。
ツアーの皆様の具合がゆるゆる悪くなっていく。
…相変わらず全然平気なんだけど。
…ところで、ツアーに馴染んでいる君は誰だ。
少年は風景に惹かれる
南米譚が集結していないのだが、
クスコ方面へ行くと手に汗握って一向終わらなくなるので、
且つ近頃ブログを更新しておらず、文体を予め整えておく必要もあるので、
たまには日本の話にて息抜き。
久し振りに「芸」の話。
文化村のミュージアムにて「エミール・ガレとドーム兄弟」展を見学。
パリ話でもしたが、何しろ私はドーム派。
一方でガレの前でこの兄弟はどうしても日陰の存在で、ファン共々不遇の憂き目を見てきた。
それが。
展示の名前にドームが冠されているとあっては、これは行かねばならない。
例え「ガレと」であっても行かねばならない。
会期ど真ん中とあって、ゆるゆる人が集まりだしたが、まださほどではなく、
わりとゆったり見られる程度。
私がドームを好きなのは、コントラストの美しさと、奇をてらわない色彩感覚。
家財道具の中で、自分だけが主役を張ろうとしない、スマートさ。
自然そのものや風景画を見ているような穏やかさ。
博物館や美術館に行くと、なんで大人はやたらに喋りたがるのであろう。
嘗て読んだ本に、「ホンモノの芸術は人を黙らせる力を持っている」とあって妙に納得したのだが、
それは往々にして受信者の問題でもあるように思う。
何人かでわらわら来てはこれはエッチングだのサンド何とか言う技法だの
うちの教室でもこんなのを作ったの風景は難しいの
三人寄れば何とやら状態である。
一方で一点一点物凄く時間を掛けて微動だにしない学生もいれば、
「ふーん」と言ってはわりとあっさり流していくのだけれども、思う所あってもう一度特定の作品に再会しに戻っていくおじさんもいて、
各人の芸術観が滲み出て、誠博物館とは人間観察もできる魔法の空間である。
尤も、これを芸術と思うか高級な大衆文化と見るかによって見学者の対応が変わってくるのは、仕方のないことでもある。
今日の展示話に戻す。
本日の発見は、上の夕焼けの花瓶。湖景文花器。DAUM。
夕焼け四連作と勝手に呼んでみるのだが、一箇所に集まって叙情的な風景を醸した4つの花器があった。
夕焼けと空から見た空限定で空が好きな私としては、
夕焼けとシルエットのみで構成されたシンプルな世界は至上である。
私が夕焼け四連作の周りをぐるぐる回っては感傷に浸っている最中、一組親子が通り過ぎる。
中学か高校と思しき少年とその母。
少年がぼそっと「夕焼けの風景って、いいね」と呟く。
本日受信した、不器用にして最高の感想。
MINI ZOO ~南米五日目~
ICA空港には暇つぶし用MINI ZOOがある。
第二便を待つ間、空港周辺を探険。
早速リャマ発見!!
なんかぼやっとした、らしい写真ですが。
余談ながら、私は未だにリャマとアルパカの違いが分からない…
違いがあるのかないのかすら分からない…
撮りたくてちょろちょろしていたらおじさんに柵内に入れてもらい、チップと引換だが、リャマと記念撮影。
調子に乗って触れてみたが、何か色々なものが毛に絡まっていた…
きちゃない。
ので去る。
次はコンドル。
コンドルぺぺを訪問する。
訪問する、てのもなかなかだが、LIVE CONDORて。生きてないコンドルなんて見たくないですが…
コンドルってえーらい大きいんですね。初めて意識して見た。
…これは別にもう動物園ではない。
寝犬。
南米ではやたらめったら犬が徘徊している。
多くは放し飼いらしく、ただし餌は自力で見つけてこなければならない。
自由と引換に自律を迫られた、わんこのつかの間の昼下がり。
宇宙人討ち取ったり!~南米5日目~
前日0時過ぎてようやく出発した飛行機はペルー、クスコへ。
数時間仮眠の後、クスコからナスカに向かう。
これまたAero Condorが少々遅延。これについてはアナウンスも無し。まこと温~い国である。
飛行機から撮った畑。菱形模様になっていて、EARTH FROM ABOVEの気分。
で、イカ空港到着。
…って、これが空港かね。
村へようこそ的入口だが、一応れっきとした空港のゲート。
ナスカ・フライト専用ポートだからこんなんで充分なのだ。
お土産屋さんがあって、レストランがあって、保健室もあれば…ん?
…「保健室」。
漢字で書くならアルファベットでHOKENSHITSUと書く必要はないような気もするがまぁいっかぁ
保健室には勿論保健室のお姉さんがいる。
というわけで、一時間強の待ち時間を経て、第二陣として欧米人と共に12人乗りの後ろ席に乗り込む。
体重のバランスだって。
いい毒っぷりだ。うんうん。
ナスカ・フライトでは左右に旋回しつつ、今見ている絵の説明をしてくれるのだが、
日本語の話せる副機長っぽい人がのりのりで「ミギシタ、ウチュウジン、コレコレ、」「ワカッタ?」などと教えてくれる。
ウチュウジン?どれどれ??
いたー!!
唯一丘に書かれた絵。一応「宇宙飛行士」と命名されている。
ガチャピンのようだ。
唯一撮影に成功。討ち取ったり!
…それにしても。
酔い止め飲んでかろうじて、でした。
第一陣のツアーの人々、第二陣の欧米人はぐにゃぐにゃ。
酔い症にしちゃ、上出来だな。
保健室のお姉さんがアルコールを含ませたコットンを持って待機している。
ああ だから、保健室。なぁる。
南米4日目 ~アカルイオハカ~
ブラジルからペルーへの移動日。
4時起きして眠い目こすって空港に行くと。
…ストライキ。
結局スト解除が夜中となり早朝出発の便が23時59分に。
もう一日、再びサンパウロに留まる事に。
ヴァリグ・ブラジルが用意したバスでホテルへ。
なんか既に人が座っているような、ロビーの椅子。
結局しばらくお茶&一休みの後、初日に半日観光を案内してくれたガイドさんを休日出勤させてサンパウロ観光の続き。
サンパウロ大学に行ったり、蛇博物館みたいなとこに行ったり。
ここもサンパウロ。の墓地。
この地で産まれ育ったアイルトン・セナの眠る地。
お墓も地表にはプレートしか出てないので
ちょっと一歩引くと、こんな明るくて広い公園のようだ。
花もケーキみたいでカラフル。
うちの近所にあるようなくらーいくらーい日本のお墓の雰囲気ではない、
死をネガティブに捉えない、
アカルイオハカ。
南米三日目 ~アカルイタキ~
三日目。アルゼンチン側に渡ってイグアスの滝を眺める。
空はこんなに青いのに。
落ちたら骨が砕け散ってピラニアの餌になるよ。と現地ガイド木村さんに脅される。怖いよぅ
怖いがしかし。
外国の滝てのは明るい。誠に明るい。
日本のはなんか湿った雰囲気が漂っていて、ふと堕ちてしまおうかなどという考えがよぎったりして実際に誘われて落ちてしまう人なんかもいたりするのだが。
ここでこの滝を見て見入ってしまうことはあっても入ってしまおうかなどとは思わない。誘われない滝なのだ。
青いお空とポジティブな滝。
因みに午後はボートに乗って滝見ツアー。
…モトイ。滝「浴び」ツアー。
すっごい水圧だった。 痛いし濡れるし。
Tシャツもジーンズもまんべんなく濡れて、むしろ変色してないように見える位。
やはり浴びるまでが滝、ということでしょうかね。
いざ南米!~二日目、サンパウロ~
宿願の地、南米。
乗り継いで二十数時間。
ようやく到着した最初に降り立ったのはブラジル、サンパウロ。
直後は霧に満たされていたものの、昼にはすっかり快晴。
トマトも映えるってもんだ。
サンパウロの市場にて。
何しろここでの感動はマンゴ。
ああマンゴってこういうものだったのか。というサイズと味。
フルーツスキーにはたまらん。
住める。と。
サンパウロには、日本人街がある。
如何にも日本人です、て部分を全面に押し出しているので、
かえって日本人が作ったんじゃないような。タタミーゼの香り漂う街。
三つ巴の地面。太鼓が敷き詰めてあるような雰囲気。
ここの人の手にかかれば、街の入口は鳥居だし、
街頭は提灯。
点灯した状態はなかなか趣がありそうだ。