みんな歩幅が違うから歩くペースも違ってくる。
置かれている環境も違うし、そこで自分の価値観が出来上がる。
別れ、すれ違う人、出「合」う人、別れ道の数も、違うのだから、性格も変わる。
考え(見)方も違うから、感じ方(想い)も、人それぞれ。だから、

ヘキサゴン収録の2本どりを終え、ファミリーだけのヘキサゴンがO.Aされ、
色んな人が、色んな事を言う中で、ヘキサゴンファミリーが次々と言葉にする中、
同じタイミングで、ブログを更新する事は、できなかった。凍りつきストップしたまんまで。
でもコメント欄は増えていく…世間は待ってはくれない。動き始め…続けている。

そんな中「自分の気持ちが整理できてからに、しよう」と想い、
毎日を過ごしてきているけど、正直…まだ今も、この気持ちを文字にする事はできない。
無理矢理、焦って、まとめたくないし、↓コレが“misonoのコメントの言葉、全て”になってしまうから、迷ってた。
「じゃ、形に出来る日はいつなのか?」ってなっても、自分にも&誰にもわからないし、
もしかしたらずっと「したくない」状況にあるかもしれないし。
こんな時こそ、普通のブログを書きたかかったんだけど「だったら一回ココで」と想い。

でもただ、現実は…今、自分の目の前には沢山の仕事があります。
だから皆様に、言える事があるとしたならば、ただ一つ。それは、
“その一つ一つを、一生懸命やるしかない”です。以上です。
今まで、あれだけ色んな事を考えて、動いてきましたが、今回ばかりは「何も考えずに」です。
頭は一時停止しておかなきゃ、頭でっかちになって、身動きとれなくなって“自滅”してしまうから!です。
だから、それ以降に収録した、笑顔で仕事してるmisonoを見た人は、
「いなくても、平気」元気にやってるよーに、見える人もいるでしょうね。でも!

ダイエット企画のDVD発売にあたり、2007年の秋に「他のアーティストとは違ったからこそ、
「次!は、もうないから、コレが最初で最後にならないよーに、掴みとらなきゃ」
という意気込みの中で、せっかく、もらった“バリバリバリュー出演”の、たったワンチャンスで、
ココまで繋げて来たんだから、それが出来たからには、
“紳助さんと一緒に”作り上げた、この場所を簡単に壊す事は、できません」なので、
もう十分、戦った。だから、今度は「この場所を守らなきゃ」なのです。

紳助さんが「もったいない!バラエティーでもいける」って、タレントmisono”という、
misonoのもう一つの顔を、見つけ出してくれたのだから。
だから過去に「もう(エイベックスを)辞めさせてほしい」と何回か言った事があるけど、
でもそれは、自分一人で手に入れたモノだったなら、最初からなかったモノとして、手放せてきたんだけど。
“親離れはしたくない気分”ではあるけど“自立する時”が、向こうから、やってきたのかもしれませんね。

にしても、急すぎるし!まだ実感もないし、紳助さんのいない芸能界を、受け止められては、いないけど!
だから、携帯にきた沢山のメールに、「これから、どーなるの?どーするの?大丈夫?」という質問がありましたが。
でもそんな事は、自分が一番「知らないです」です。
misonoも、何も聞かされてなくて、その日のニュースで知ったので…視聴者の皆様と同じだったし、
だからウチに聞いてきた人がいた時も「嘘でしょ!そんな噂、あり得ないっしょ」って返信したし
紳助さんにも「何か色んな人からウチにメールがくるんですけど、何かあったんですか?!」
って(番号は知らないから)普通に紳助さんに、メールしちゃったし!
で、紳助さんから返信きた時に、初めてTVを付けたから…
前回の収録日から、会ってないし、最近はご飯にも行けてなかったから、話したいなぁ。

だから沢山の子供たちがいる中で、上地とmisonoの名前だけ出た事には、
ビックリしたし、涙が止まりませんでした。全ての番組を録画して、何度も見ました。
それを見ては、涙が流れているけれど、仕事は山積みで、泣いてる訳にもいかない。
本当だったら、9月は“Meのデビュー”もあったし、
misonoは、社長としてMeのプロモーションがあったり、
ミュージカルの稽古も控えていて、おさえられていたから、
元々9月からは、ミニライブイベントを含め、音楽活動の方で、スケジュールがうまっていたし、
バラエティーも、基本的には、レギュラー番組の収録しか、入れてなかったし。
行列にも、4年間で7回だし、深いい&クイズ紳助くんも1度だけ、プロデュースにも、
国歌斉唱の時に、VTRで1度だけだったし、だから今まで通りmisonoを見れる機会は、減りもしないし、
逆に、他の場所で、見れるよーになるという状況だから、ミモラは心配しなくて大丈夫だと思う。

TVでも何度も言われてる通り「misono?絶対ないわ~」との事なので(笑)全ては“むしょうの愛で”だったから。

2008、2009年の2年間は、休む事なく“バラエティーに出まくっていた”時期、
「露出を控えマイペースにやりたい&他の事にも挑戦したい」と思った2010年、
「misonoとしてのアーティスト活動を終えて、2011年は、妹分のMeの誕生」
と、初めてのミュージカル(舞台ではなく)様々な事を“試して”きました。
毎日が本番で、リハ&チャンスなんてないと想ってる人だから、試すという言い方はしたくないけど、
何事もやってみなきゃ、それが「失敗だった」かどうかも、わからないから、
考えても答えが出ない事だってあるし、思い通りには行かないけど、予想通りに、
もしくは予測不可能、予想外の展開になる事なんて、多々ある事だし、壁が訪れる度に、
その試練を乗り越えてきた。そして、これからも!ムチをアメだと思って。
今、自分自身が駄目になったら、アメも→ムチになるし、ムチをアメにするかも自分次第!
次なんて、ない。(芸能人としての)明日&今度が、くるとは限らない!と、想いながら、
常に「もしかしたら○○かもしれない人生」&今を、大切に生き抜いてきたんだし。

今回も沢山の芸能界の人が「紳助さんのおかげで」と口にする中、misonoも、その中の一人であり、
その救世主をキッカケに、世に出られなかった環境から、脱出する事ができました。
「倖田來未の妹だからとか、事務所の力って、言われないよーな何かを、一人で形にしなきゃ」
という想いから、そんな必要ないのに、周りからも止められたけど、
もう赤字でも、崖っぷちでもなかったのに、自らアーティスト活動に休止符をうったり、
バラエティーも、レギュラーにしぼって、自分を追い込んで、危機感をもたせてみたり。
だから今コレで「misono消えたね」って言わせる訳にはいかないんだ。今度は、自力でね。

自ら「諦める事は簡単だ。続ける事が大切なんだ」っていう考え方の人とは、正反対のmisonoであるから、
「辞める事の方が難しいし、終わらせる事だって必要」だと思ってやってきたから、
misonoのCDの中に、“end=START”というタイトルや、歌詞があるよーに、
その人の人生が終わった訳じゃないし、その人が「終わった」と思ってない限り、
「終わりじゃない!って事。始めるだけ。その為に」かもしれないから、周りが決めつけちゃいけないと思うし、
十人十色だから、誰か(自分)の生き方を基準に、人の生き様に対して、ウチはどうこう言いたくないけど、
紳助さんは、自分の事をあーゆう風に言っていたけど、
ウチは“人間味の溢れる紳助さんらしい、かっこいい「。」だったなぁ”と、思ったから、
「○○しないでほしい」って、家族だからこそ、自分の気持ちを押し付けたくはないしなぁ。

misonoが紳助さんに何かを言ったところで、紳助さんは、揺るがないのも分かってはいます。
ウチは、一緒に仕事してなかったとしても、人として、人間らしい紳助さんが大好きです。
だから会わなくても、離れていても、心で繋がっている!
携帯だけで繋がってる関係ではない。だから何も変わらない!
お互い、それぞれの居場所で、想い合っていれてれば、それでいいんだ!と思っています。
皆の父ちゃんが決めた事だもん!ヘキサゴンファミリーの一員misonoとして、人間“美苑”として、
そして応援してきてくれた、ヘキサゴンファンの皆さん!元々一つだったけど、今一度、一致団結だぁ!

(P.S)
misonoスタッフ&オカンとオトン、こんな大変な時だからこそ、そっとしといてくれて、ありがとう。
「大丈夫?」と一番に連絡してきそーなのに、何もなかったのが、逆に有り難かった。
ウチが、26時間TVの駅伝の事があって「辞めよう」とした時に、
エイベックスからは、反対&説得されたけど、紳助さんは、
引き止めないで「辞めるな」とは言わずに「ゆっくり休め」と言ってくれた事を、思い出しました。
「30歳になっても歌い続けろ」って紳助さんに言われた時も、正直「無理だよ…」って思いましたが、
紳助さんが生んでくれた、ヘキサゴンアルバムでの、ユニットmisonoも、ウチの中に、ずっといる!
皆の心の中にも!皆が忘れない限り存在しているという事を。