こんにちは。いろはです。
城下町のマンションでひとり暮らし。
セミリタイア中です。
散歩時コースにある博物館。
かつて入館したのは、十数年前。
「高野山寺領の村」という企画展をしていたので、入ってみることにしました。
入館料が280円というのもいい
「近世高野山寺領の成立に深く関わった木食応其を紹介するとともに
高野山麓に所在した寺領の村々で花開いた芸能や人々の暮らしを紹介します」
との案内がありました。
高野山は秀吉による焼き討ちを免れ、
徳川幕府になってからも、紀伊国には含まれず、
明治2年まで高野山寺領として存続したのだとか。
秀吉が出した紀州攻めの朱印状。
秀吉の名と朱印があるけど、誰にあてたものかは不明だけど、
根来寺、粉河寺を攻め落とし、高野山も屈服させて、紀州を制圧させることになる。
弘法大師御手印縁起写(空海当時のものでなく後世の偽作と言われている)
弘法大師が丹生都比売から譲られた広大な土地を所持していたことを示すために
作製されたもの。
秀吉の紀州攻めの時、木食がこの縁起に基づき、寺領の存続を求めたそうです。
わたし、こういう縁起絵巻好きなんですよね。
これは1巻だったので、他のも見てみたいなぁ、、、と思います。
古地図も好きでして、、、
高野山絵図
参拝者のためにつくられた高野山の地図 1810年(文化7年)
西国巡礼方角絵図
三十三か所の霊場、巡礼路、主要な宿場町の路程、名所などが記載。
高野山への登山ルートなども記されていました。
これが面白くて、しばし見続けてました。
私の好きな、丹生都比売神社が描かれた、紀伊続風土記高野山之部。
境内にある小さな川を境に、
南側に神社、北側に寺院が立ち並んでるのがわかります。
舞楽曼荼羅供の様子が描かれたもの、
舞楽に使われた鼓、金属打楽器の周囲を飾る縁などが展示されていて、
興味深かったです。
もともと、京都や天王寺から楽人を招いて行われていたので、
この地では舞楽の継承は無いようです。
機会があれば見てみたかったのになぁ、、、
何気に見た企画展でしたが、
大学の授業で最近学んだ舞楽に関するものも見れたし良かったです
また、新しい企画展があるときは、訪れようと思います。
昨日のお昼ごはんは、ガッツリ牡蠣フライとヘレカツ。
美味しい~と言いながら、食べてましたが、、、未だに胃もたれ
食べ過ぎました
ご訪問ありがとうございます