Hola!!
ご無沙汰しております。
2/7~2/27の日程で春合宿キューバに行ってきました!
春合宿のブログは3人それぞれが書くことになっていますので、この記事はひとまず第一弾ということになりそうですね。
まず、メンバー3人とも無事に帰ってこれてよかったです。僕の携帯は無事ではすみませんでしたが。。。。。。。
僕たちは17日間キューバに滞在し、いろいろなものを見、考えてきました。写真とともにさっそく紹介していこうと思います。
初めにお聞きしたいのですが、みなさんは、キューバと聞いて何を思い浮かべるでしょうか。
世界が核戦争の恐怖に震えたキューバ危機でしょうか。
英雄エルネスト”チェ”ゲバラでしょうか。
我らの若鷹軍団でプレーするデスパイネ選手、モイネロ選手、グラシアル選手でしょうか。
文豪に詳しい方はヘミングウェイでしょうか。
今回の春合宿で私が学んだことが一つあります。
ん?誰だ?おじさん?
この方は、キューバ独立の父、ホセ・マルティです。名前だけは聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。
キューバはこの人、ホセマルティの国なのです。キューバにはどんな辺境にもこの人の胸像が置いてあります。
ホセマルティの遺志を継いだのが次の写真の男です。
そうです。フィデルです。キューバ革命を指導したフィデル・カストロその人です。
そして、フィデルとともに革命を戦った世界的な英雄が次の写真の男です。
平たい顔族が二人映りこんでいますが、英雄は後ろの壁の人です。
みなさんの見慣れたあの顔。エルネスト・ゲバラ。通称”チェ”ゲバラです。
今のキューバを作ったキューバ革命。1959年に始まりました。カストロとゲバラはそのキューバ革命の英雄であり、現代キューバの思想的、政治的リーダーたちです。
そのキューバ革命の父がホセマルティです。マルティは現代キューバの、カストロたちの生みの親なのです。
マルティの精神が生きている国、キューバでの春合宿、スタートです。
首都ハバナのとある通り。晴れています。
モロ要塞でカリブの海に思いを馳せます。
ハバナの西の空に陽が沈んでいきます。キューバ国民はサルサを踊る夜を迎えます。
ハバナから西方に移動。ビニャーレス渓谷です。
ビニャーレスから東へ相乗りタクシーで6時間。バラデロの海です。泳ぎました。
バラデロから東へ1日。東の果てバラコアです。コロンブスが世界最大の美だと絶賛した風景が広がっています。
むこうにみえるのはテーブル状のユンケ山。登りました。ガイドは山の近くに住む同年代くらいの男。彼はまぎれもない健脚者で、サンダルで私たちの普段の山行の1.5倍くらいのスピードで登っていきました。
ユンケ山一の美渓。裸足で巻き道を登りました。日本で見たことのないような大きな釜に飛び込み、泳ぎました。
バラコアから西へ6時間。キューバ第2の都市でありキューバ革命の里、サンティアゴ・デ・クーバへ。
↓中心街。ハバナほどではありませんが、外国人観光客がたくさん。
カストロの最初の武装蜂起の跡。モンカダ兵営。現在兵営の一部は学校になっています。
サンティアゴ・デ・クーバの北にはカストロやゲバラらが行軍したシエラ・マエストラ山脈が広がっています。
シエラ・マエストラ山脈の支脈の一つの峰、グラン・ピエドラの山頂に立ちました。まるで丹沢のよう?
再びハバナに戻り、翌日帰国しました。
20日間わくわくするような経験をさせていただきました。日本とは勝手の違う環境にも徐々に慣れ、最後はあたかもハバナ市民のように旧市街を闊歩する自分たちがいました。
キューバでの暮らしは私に、私が日本での生活を普通の事としてこれまで捉えてきたことを気づかせてくれました。
可動式の、望み通りの温度のお湯が出るシャワーを使っていること。
キューバの人々の月給が半分消えるほどの昼食を毎日食べていること。
秘密投票が認められていること。
町のいたるところから悪臭がすることのない場所に住んでいること。
wifi広場に行かなくてもネットが使えること。
全てのもの・ヒトが競争の中で生きていること。
資本主義システムの中に生きていること。
帰国後、キューバに慣れきっていた私は、近代テクノロジーと資本主義の粋を集めたような大都市で、人々がこれまたテクノロジーの結晶である小型の電子機器の画面を一様に見つめ下を向いて歩くその様子を、物珍しそうにしげしげと見つめてしまうのでした。
もうちょっと書きました。。。