●モーツァルト『ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491』
GW2日目は雨。昨日食材の買物も済ませてあったので、今日は家でクラシック三昧です。
クラシック音楽は、基本的に歌詞はありませんが(オペラや歌曲を除く)、時にクラシック音楽の天才達は、音だけで劇的な物語を表現しました。
ベートーヴェンは激しく重く、どこか神経質そうなイメージ。
モーツァルトは明るくて軽く、楽天的な感じ。
まだクラシック音楽をほとんど知らない私が、勝手に抱いていたイメージです。以前、『ピアノソナタ第8番 イ短調 K.310』がモーツァルトとの衝撃的な出逢いだったと書きましたが、
勝手に明るいと想像していた「モーツァルトの暗さ」に、私は惹かれてしまったのかもしれません。『ピアノソナタ第8番 イ短調 』で衝撃を受けた私が、次に心を奪われたのが、『ピアノ協奏曲の第20番 二短調 K.466』でした。
モーツァルトのピアノ協奏曲は全部で27曲ありますが、短調曲はわずかに2曲しかありません。当時の聴衆が明るい曲調を好んだという諸事情もあるのかもしれませんね。
右側のCDが内田光子さんのピアノで、協奏曲20番と21番が収められたもの。そして左側が、クララ・ハスキルとコンセール・ラルムー管弦楽団のCDで、そこにカップリングされたいたのが協奏曲24番でした。24番も「短調曲」です。
実は購入した当時は、24番ハ短調の方は、あまり好きになれず、もっぱら聴くのは20番の方でした。
20番でさえ、最後は明るい感じで終わるのに、
24番は、最後まで暗い感じで終わるのです。
暗いにも程がある。
勝手な話ですよねぇ。でも当時はそう思っていました。
第1楽章の曲の冒頭から不穏な暗さです。まるで本日の雨雲のようです。嵐のようなオーケストラが収まると、ピアノがソロで静かに入って来ますが、その音を再びオーケストラが掻き消します。ピアノはそれでも、必死で明るさを取り戻そうとします。
それはまるで迫り来るオーケストラ(不穏な雨雲)に抵抗して、逃れるように必死で跳ぶ蝶々のようです。ですが次第に飲み込まれていきます。
第2楽章は、束の間の癒やしで、まるで「昔は良かった」と、子供の頃をなつかしんでいる様な優しくて平和なメロディです。でもいつの間にか、それも切ないものへと変わって行き・・。
第3楽章は変奏曲で、途中、幾つかの変奏曲で希望を取り戻したかの様になりますが、最後にはその希望も全て飲み込むかのように曲が終わります。
先日Tverで、「空から降る1億の星」と言う、キムタクと明石家さんまダブル主演の昔のドラマを一気に観てしまいました。
ご存知の方は知っていると思いますが、あれも結末が悲し過ぎますよね。それに似て・・?
最初にこの曲を聴いた頃、私は心の病気を患っていましたので、生理的に身体が拒否したのかもしれませんね。
でもそれから20年以上が経ち、私も年齢を重ね、介護なども経験して、いま改めて聴くと、何か染みて来るのですよね。
少なくとも嫌ではないですし、むしろ人生に寄り添ってくれているかの様な気さえして来るから不思議です。
「協奏曲」は、まさにピアノとオーケストラの対話のよう。
ちゃんとそこに物語がある。
改めてそう強く感じたのが、私にとっては、このモーツァルトの『ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 』なのかもしれません。
なぜか中島みゆきが聴きたくなる。そんな時ってありますよね?
そんな心境にちょっと似てるのかなぁ・・(なんて)。
(P:ハスキル コンセール・ラムルー管弦楽団)
モーツァルトは5歳で作曲をし、8歳で最初の交響曲を書きました。間違いなく天才ですよね。しかし晩年は人気も落ちて、経済的にも困窮していたようです。そして35歳で亡くなりました。
天才の光と陰。モーツァルトの闇と孤独。
自分も年齢を重ねたからなのか、どうしてもそこが気になり、モーツァルトの心の叫びは、むしろ短調だったのではないだろうか、などと思ってしまうのでした。
本日もお読みいただき、感謝です。