●遺伝子オンの生き方 | 日々是修行~人生の「道」を求めて

●遺伝子オンの生き方

この標題を読んで直ぐに分かった方は、村上和雄さんをご存知の方だろうと思います。

 

昨日、クラシックの記事をブログに書いたのですが、内々で(コメントのやりとりで)、別のところでも盛り上がりました。

 

村上和雄さんは遺伝子の研究に尽力された方で、筑波大学の名誉教授であり、「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」という言葉の生みの親としても有名です。

 

その村上博士がお亡くなりになったのが2021年の4月。その追悼の意を込め、2011年に公開のドキュメンタリー映画『SWITCH』が3日間限定で、WEB上で無料公開されていました。

 

それを昨晩「あと3時間です」と教えてくれたのが、ブログのコメントで、そのお陰で私も他の人も観ることが出来たのでした。

 

そして有り難くも「コメントの返信では勿体無いないので、またblogにupしてください」と言うお声も頂き、コメント返信した感想なのですが、そのままupさせていただくことにしました。

 

(すみません。少々長いです)

 

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いま見終わりました。観れて良かったです。博士の命日・・ということもあっての限定公開だったのですね。想像していた通りのお人柄と話し方で、改めて本を読み返したくなりました。

感想かけるかなぁ・・。2000字じゃ書ききれないという気もしていますし、言葉に出した途端に軽くなりそうで、言葉では表現しきれないという気もしています。

科学者の方が、もしかすると純粋に神を見る(感じる)のかもしれませんね。宇宙物理学の最先端の人も、そこに神の存在を感じると言います。宇宙のようなマクロに行っても、村上教授のような遺伝子というミクロの世界に行っても、そこには”偉大なる何者か”としか言えないものが在る。

脳科学的に言っても、人間は脳の3%ぐらいしか使っていないそうです。言わば眠ったまま、使わないまま、遺伝子がオフのまま、生を終えてしまう訳で、そう思うと、歳と共にこの肉体はどんどんと衰えますが、使っていない遺伝子をオンに出来れば、死ぬまで可能性は無限大なんだって思えますよね。(^^)

ただし「遺伝子をオンにしてやろう」と思って、出来ることじゃない。何故ならそれは、サムシンググレートと繋がっているから・・。何かに夢中になった時、誰かのためにただ一生懸命になった時、つまりは「無私」になった時に、自然とそれは顔を出す。本人も気づいていないところで・・。

村上先生は、「それ」は意志があるとしか思えないと、著書の中でもおっしゃっていた気がします。「ゼロ」の世界。「無」の世界ですから、意志というものを設定するのも矛盾していますけれど、どうやら「それ」は、愛の方向性を持っている。調和とか喜びとか、とにかく全体が良くなる方に動いている。そうじゃなきゃこの世界も循環していかない。納得しようが納得しまいが、全体がそっちに流れている。それを宇宙の、或いは神の「意志」と言えば、意志なのかなぁと・・。

笑いの効用。ポジティブ心理学。みんな繋がっていきますよね。
どう考えても、下を向いてうつむいてダメだと思っているよりは、笑って前を向いている方が、遺伝子はオンになりそうな気がしますよね。

それには「想い・言葉・イメージ」。みんな大事。そうやって一瞬一瞬を「生きる」ことが大事。改めて、そんなことを考えさせられました。

個人的には、本当のスピリチュアルって、こういうことを言うのかなぁと思っています。「宗教」もそうかなぁと思っているのですけれど・・。
「神様は救わない」。と言うよりは、「もう救われている」の。
「いのち」をいただいた時点で、もう全部もらっている。本当に奇跡のようなことだから。わたしたちが間違っているだけ。それでも神様はとがめない。好きにやりなさいよと、いつも一緒にいる。「いのち」の中にも外にも・・。

言葉にするのは難しいですね。どうしても観念的になっちゃう。
ただ、「いのち」が喜ぶような生き方をしたいですよね。

一方では「いのち」というものに謙虚になりながら、もう一方では、きらきらと目を輝かしてと言うか・・。「生きる喜び」を噛みしめながら、最期まで生を全うできたら、それが最高の生き方かもしれないなぁなんて思います。なかなか出来ないですけれど。^^;

「未熟ですみません」と毎朝・毎晩手を合わせながら、「今日も私なりに生きてみます!今日はどうでしたか?」と、それが私の信仰生活でもあるのかもしれません。

「いのちに誠実に」。出来ればそう生きたいと・・。

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hajime  2023-04-15 23:42:29

 

 

《補足》

私は元々は理系でしたので、ゲノム解析などの話にも興味があり、村上教授の本は3冊持っていました。また宇宙に関する本も好きでしたので、その辺りを少し言葉を足して、補足させていただこうと思います。

 

  遺伝子情報

 

人間は60兆の細胞で出来ていますが、その細胞の一つ一つの核の中に、約32億の遺伝子情報がしまい込まれています。これは1ページ1000文字×1000ページの百科事典があるとすれば、その百科事典約3200冊分に相当します。もう図書館ですよね。

 

また60兆の細胞と言うと、地球の人口の約1万倍です。地球上ではケンカやいじめ、訴訟を起こしたり戦争をしたりとトラブルが耐えないのに、60兆の細胞は見事に調和がとれ、それぞれが自律的に働きながら相互に助け合い、人(私)という固体を生かしている訳で、何とも壮大なスケールです。

 

爪の細胞が爪以外を作ることはありませんし、皮膚細胞が髪の毛を作ることはありません。それは遺伝子のオンとオフによって起きるのだと・・。

 

村上教授はそこに感動するのですよね。現場の科学者として、研究者として、とても素直に・・。その膨大で些細な情報を遺伝子に書き込んだのは誰なのか?誰がそれを統括しているのか?偶然や人為で出来たとはとても考えにくい。

 

村上教授は、科学の常識や人知を超えた大きな存在を想定し、その「自然の摂理」としか言えないものを、「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」と呼びました。

 

 

  宇宙物理学の世界より

 

宇宙物理学では、宇宙は何もない「無」から生じたと論じられています。一般的には、宇宙はビッグバンで誕生したと言われますが、正確には、それは宇宙誕生の10の34乗分の1秒後の話だそうです。

 

少し難しい話になりますが、プランク・スケールというものがあり、あるところまで来ると、ロジックや数学的記述では間に合わない(説明できない)ところに行ってしまうそうです。

 

NASAの宇宙物理学者のある方は、「もしもビッグバンの爆発のタイミングがほんの少しでも狂っていたら、今の宇宙も地球も生命もあり得ない。そこにチリ一つ混じっただけでも人類も誕生しなかった。そこに”宇宙の意志”を感じずにはいられない」とおっしゃいました。

 

面白いですよね。宇宙という「極大」と、遺伝子という「極小」の両極端の世界において、その専門家が口を揃えて「そこに意志を感じる」と言うのですから・・。

 

昨日のコメントの中で、「科学者の方が、もしかすると純粋に神を見る(感じる)のかもしれませんね。」と申し上げたのは、そのことです。人知を超えた「目に見えないもの」に対し、科学者の方が、真っ直ぐ純粋に畏敬の念を持っているような気がして。

 

 

  宗教と哲学の世界から

 

西洋哲学の歴史を紐解くと、それらは同根のところから発しているようですね。世界はどうなっているのか?人間とは何なのか?そして恐らく「真理を知りたい」というところから。

 

大乗仏教(般若心経)では、「色即是空・空即是色」だと言います。「色」とは、形あるもの、目に見えるもののことで、それらは「空」である。そして同時に「空は色なのだ」と・・。

 

サンスクリット語では、名前と形のことを「ナーマ・ルーパ」と言いますが、とりあえず名前を付け、何らかの姿や形を与えないことには、私達は「それ」を呼ぶことも想うことも出来ません。

 

老子は言いました。「これが道だと説明できるようなものはないのだ。もしそんなものがあるとしたら、それは道ではない。」

 

本来は名前や形なんか無いということですよね。

もっと言えば「超えている」ということでしょうか。

 

ヴェーダーンタなどでは、そのまま「それ(that)」と指示代名詞で通すことも多いですが、そう思うと、村上教授が名付けた「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」は、言い得て妙だなぁと思ってしまいます。

 

多神教と一神教の違いも、至るところに「サムシング・グレート」の働きを見るなら、多神教という事になるでしょうし、基は一つなのだと「サムシング・グレート」の方に注目すれば、一神教になるのかなぁと思います。

 

それを人間は「神」と名付けました。

 

 

  いのちの喜ぶ生き方

 

再び村上教授に戻ると、「遺伝子が喜ぶ生き方をしなさい」と言う様な事を、ずっと提唱されていました。もっと簡単に言うならば、「いのちの喜ぶ生き方」でしょうか。

 

「私の喜ぶ生き方」ではないところが、一つのキーポイントですよね。

 

ついつい他人と較べがちな私達にとっては、先ずは自分と向き合い、「私」を大切にするところから始まるのでしょうけれども、「私」とは自我のことですから、もう少し先の(それを超えた)話になるのかなぁと思います。

 

村上教授が著書の中で「本当のプラス思考人間というのは、それがプラスかマイナスかなどと考える暇を与えず、ともかく”やる”。出来るか出来ないか、効果的かどうか、疑念や逡巡をさしはさまない。バカみたいな単純さでやり続ける。それが遺伝子ON型の人の特徴だ」と、面白い事をおっしゃっています。

 

「バカみたいにやり続ける」。きっとこれも一つの「キモ」ですよね。凄いプレーをしたスポーツ選手、事故現場に居合わせた人、そういった方からよく聴くのは「もうただ夢中でした。」そんな一言なのではないでしょうか。

 

「遺伝子のスイッチがオンになる」のも、もしかすると、そんな時なのかもしれませんね。

 

笑いの効用(セロトニンとの関係)も、よく言われることですよね。心や感情も体に影響を与える。人間とは複雑怪奇ですね。でも確かに、キラキラ・ワクワクしていた方が、体も喜びそうですし、遺伝子的にも、その方が活性化しそうだなぁと言うのは、何だか感覚的にも分かる気がします。

 

実際は生きていれば色々な問題があって、悩む事の方が多く、いつもキラキラ生きるなんて、とても難しいことですけれど・・。

 

 

  神は救わない

 

そこだけを捉えれば「何を言うのか」と宗教に熱心な方達に私は怒られてしまいそうですけれど、私たちが使えていないだけで、必要なことは全部設計図(遺伝子)に書いてあるとするなら、「いのち」を与えられた時に、全部持たせてもらってると言っても良いのではないでしょうか。

 

そういう意味では、「もう既に救われている」。

 

そして人間と同じ様に、大自然もまた、愛とか調和とか喜びとか、そういう同じ方向性を持って動いている。流れている。

 

そこに乗るのか反るのか。

 

綺麗事と言えばどこまでも綺麗事の話で、雲をつかむ様な「大言壮語」ではあるのですけれども、「魂」という、体と心を超越したものを設定するとしたなら、「魂」レベルでは、私達はきっと「大元(おおもと)」と繋がっているに違いない。

 

そう思っていた方が(思えた方が)、何となく穏やかに暮らせそうな気がしますし、どうせだったら「いのち」のある間、そんな「魂の喜ぶ生き方」をしたいなぁと思っていた方が、人生の道(人の道)を踏み外すことも無いのかなぁなんて・・。

 

脳科学的にはミラーニューロンと言うそうですが、人間は同調するそうです。近くに居る人を鏡のように真似をする。もしもそうやって、愛とか調和とか平和とか、そんな遺伝子のスイッチが活性化して、人から人へと伝わって行くとしたなら、ちょっと素敵な話だなぁと思います。

 

集合的無意識を唱えたのはユングですが、無意識の底ではみんな繋がっている。それも遺伝子というところから考えると、そう突拍子もない話ではないのかもしれませんね。人間の歴史の分だけ、遺伝子情報は面々とが受け継がれているはずだからです。

 

かなりカチッとした文章。そして長くなりました。

お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

本日もお読みいただき、感謝です。