●真面目にスピリチュアル | 日々是修行~人生の「道」を求めて

●真面目にスピリチュアル

「こんな事を書いても仕方がないかなぁ・・。」

 

そう考え始めると、普段のブログも書けなくなりそうですが、

この分野は特に、そう考えずには居られないと言うか、

 

何が正しくて何が正しくないのか、ハッキリ分からないのもありますし、

また「正しい事を言うこと」が、決して正しいとは限らず、

 

「今はそれを言うべきじゃない」とか、

その人にとっての「タイミング」というのもありますし・・。

 

いやいや。こんな弱小ブログが何を言ったところで影響はないし、

そう考えるのも所詮は「思い上がり」じゃないのかとか、

 

それ以前に、書きたいのは自分の「承認欲求」じゃないのかとか、

あれこれ自分にツッコミを入れる内に、考える事にも疲れてしまい、

 

結局は「余計なお世話だし・・」と言うところに落ち着いて、

今までは基本的に、スピリチュアルとは「一線を隔して」、

 

着かず離れずの所があったのですけれど、

 

このところ何となく、周りの人達との会話や出逢う出来事から、

状況的には、まるで「書け」と言われている様な気もして、

 

かなり冗長な文章で、前置きが長くなりましたが、

恐る恐る少し重い腰を上げてみる事にしました。

 

初めに申し上げておきますが、私には全く霊能力はありません。

 

その代わり、誰の人生も順風満帆ではないと思いますが、

私もそれなりに波乱万丈の人生を生きて来て、

 

苦労自慢をする訳ではありませんが、「うつ病」にもなりましたし、

介護で仕事を続けることが難しくなって「介護離職」し、

 

妻とは「介護離婚」し、結果的に「一人介護」をする事になり、

父母のダブル認知症に、叔父も加わった「トリプル介護」で、

 

今も「十年介護」を継続中と言うのも、

なかなか稀有な経験なのかなと思っています。

 

介護と医療の狭間で、それなりに苦しんだり悩んだり、

生と死も含めて、色々な事を考えさせられて来ましたので、

 

私が語るのは、そういった中で、自分でも宗教や哲学を勉強して、

実体験から推測した「逆読みのスピリチュアル」ではあるのですが、

 

逆に、そんな霊能者でも何でもない私が話す事だからこそ、

共感して参考にして頂ける事もあるのかなぁと・・。

 

少し違う角度から「スピりチュアル」の話をさせて頂こうと思います。

 

これはYOGAにも言える事で、

広く拡がるのは、もちろん悪いことではないのですが、

 

需要があればビジネスとしては成り立ちますから、

「ヨガビジネス」や「スピリチュアルビジネス」が横行し、

 

「何でも有り」の様な状況にはなっていますよね。

 

皆さんは「スピリチュアル」と言う言葉を聞いて、

ハッキリ「こうだ!」と、説明できる方はいらっしゃるでしょうか。

 

そうなのです!言葉の定義からして、かなり「曖昧」ですよね。

それだけ色々あると言う事で、

 

一般的には、「占い」「風水」「パワーストーン」「チャネリング」

「引き寄せの法則」「スピリチュアルメッセージ」などでしょうか。

 

もちろんそれを趣味として「楽しむ」だけなら、

生活の彩りや、前を向くヒントにもなるかもしれませんし、

 

他人にとやかく言われる筋合いもない話ですけれど、

一方では「ハマりやすい」と言うのも確かで、

 

詐欺まがいの「危ないスピリチュアル」もありますから、

そこは充分に注意をして、

 

ご自身で「スピリチュアル」とは何なのかを、

考えて欲しいなぁと言うのは凄く思いますね。

 

ある程度、自分なりの「スピリチュアル」に対する考えを持っていれば、

余りブレないし、迷わないと思うのです。

 

でもそうじゃないと、スピリチュアルの泥沼にハマって、

「スピリチュアル難民」にもなり兼ねません。

 

あくまでこれは私の解釈ですが、本来「スピリチュアリティ」とは、

「霊性」とか「精神性」と言う意味だろうと思います。

 

ですので例えば、「霊が見える」とか「メッセージが聴こえる」とか、

そう言った「霊的能力」とは、関係ないと思うのですよね。

 

そういう「特殊能力」に憧れる気持は、私も分かりますけれど、

きっと見えちゃったら見えちゃったで、大変だろうと思いますし、

 

またその「特殊能力」と、人格とは関係ありませんから、

「霊が見えても」、その人が「精神性が高い」とは限りません。

 

よく教祖様の様な人が「神様の声が聴こえる」とか、

「私は○○の生まれ変りだ」とか言う人も居らっしゃるじゃないですか。

 

でも本当に精神性の高い人は、

多分そんな事は言わないと思いますよ。

 

或いは、少しふざけた名前のペンネームで本を書いている人とか、

神様をおちょくる様な事を書いている人。

 

少なくとも、感謝とか敬意とかは感じられませんから、

あまり信用せず、距離をとった方が安全だと思います。

 

ただの動物霊が付いているだけかもしれませんよね。

 

多くの方が、この「現実世界」で何か「生きづらさ」を感じ、

或いは「このままで良いのだろうか」と疑問に思った時に、

 

そう言ったタイミングで、例えば「精神性」と言う言葉を聞いて、

「そうか!精神性なのか」と安易にスピリチュアルに没入すると、

 

どちらかと言えば「現実世界」を捨てる方向に行きますよね。

「この現実世界がいけないんだ」と否定してしまったり・・。

 

少し厳しい言い方をすれば、そっちに逃げて、

「すがって」しまう訳です。

 

周りの人からすれば「一体どうしたんだ?」で、

そりゃあ心配しますよね。

 

でも本人は、もう「うるさい」としか感じず、

どうせ話しても通じないと、「引きこもって」しまい、

 

一方そちら側の人達は、「逃げていいんだよ」と言いますから、

 

よほど近くに、自分が嫌われるのも覚悟で、

厳しい事を言ってくれる人が居ないと、行ったきりになりますし、

 

それで大事な人間関係を壊す可能性すらあると思います。

 

そう言ったスピリチュアルの危険性などについては、

余り語られないのではないでしょうか。

 

それはそうですよね。ビジネスなのですから・・。

敢えてデメリットは言いません。

 

YOGAはスピリチュアルとの親和性は高いですから、

ご自分で、その辺りのバランスが保てる人は良いのですけれど、

 

一気に持っていかれる危うさがあるという事も、

改めて知っておいた方が良いのかも・・とも思います。

 

私達は肉体を持っていますから、幾ら「精神性」と言っても、

生きていかねばならず、生きて行くのはこの現実世界ですから、

 

逆に言えば、だからこそ「学び」があるとも言えますよね。

 

本来のスピリチュアル的に言えばですけれど、

だからこそ、この世界に産まれて来たと言えると思うのです。

 

何の努力もせずに、神仏と繋がれば「全てがうまく行く」なんて、

それでは何の「学び」もないのではないでしょうか。

 

「全ては意味がある」と自分で言いながら、

自分にそう言う事で、起きてしまった出来事を何とかやり過ごし、

 

実際は「ではこの出来事にどんな意味があるのだろう?」と、

自問自答する人は少ない様な気がします。

 

だから同じ事がまた起きる訳で、

そしてその度に誤魔化す。

 

不思議なもので、クリアするともう来ないのですよね。

そんな気がします。

 

でもそれが「成長する」という事だと思うのですよね。

 

「クリアする」とは、「気づく」と言い換えても良いのかもしれません。

「気づいた」と言う事は、何かを「学んだ」という事ですから・・。

 

と言う事で、「ふわふわスピリチュアル」ではなく、

私のはどちらかと言えば「厳しめスピリチュアル」なので、

 

合わない人の方が多いかもしれませんし、

私は私で、それなりの気力と覚悟がないと書けませんので、

 

時間があって、心が平穏の時だけになるとは思いますが、

 

私もそこから逃げてばかりいないで、敢えて禁断の?

「スピリチュアル」の世界にも、踏み込んでみる事にしました。

 

「風の時代」という言葉に、

どうぞ吹き飛ばされませんように・・。

 

現実にしっかり足を付けてください。

 

その上での「スピりチュアル」であるべきではないかと、

新たな試みとしてブログテーマにしたのが、

 

「真面目にスピリチュアル」の話をしようです。

 

本日もお読みいただき、感謝です。