●想像力 | 日々是修行~人生の「道」を求めて

●想像力

 

遂に東京では、新規感染者が300人超えですね。

 

コロナの感染が始まった当初は、まだ誰もが

このウイルスの事がよく分かっていませんでしたので、

 

専門家の間でも、コロナウイルスは高温多湿や紫外線に弱い、

そんな事も言われていましたよね。

 

ですので誰もが心の何処かで、「そのうち自然に消滅する」と、

少なからず、そんな認識で居たのではないでしょうか。

 

情報が少なかった訳ですから、当然と言えば当然です。

でもコロナの感染力は、そんなに甘くはありませんでした。

 

若い人でも重症化したり、退院後も後遺症に苦しむ人がいたり、

そういう事もだんだん分かって来た訳で、

 

私達がいま一番しなければいけないのは、

その辺りの「認識の書き換え」なのではないでしょうか。

 

「第2ステージ」ですよね。

 

「第2波」という言葉もよく取り沙汰されるところですが、

「もう来た」とか「まだ入っていない」とかは、

数字をどう分析するかによって解釈も変わりますし、

 

専門家に分析してもらわずとも、素人目にも、

状況的には「かなりヤバい」というのは明らかな気がします。

 

「第1波」で自粛生活をすれば、

感染拡大を抑え込めるのはハッキリしました。

 

ただし人間は経済活動の中で生活していかなければならず、

自粛を解除し、そして今また「ワッ」と増えて来ている訳ですが、

 

感染対策はしているとは言え、今は自粛生活はしておらず、

「減る要因」がないので、増加傾向にあるのは必然と言えます。

 

では再び「自粛生活」をすれば良いのかと言えば、

何度やっても、たぶん同じ事の繰り返しですよね。

 

個人的には「三寒四温」で、第三波・四波も当然と思っていたので、

「第二波」と言われても、特に驚きもしないのですけれども、

 

単純に「グラフの山」だけで捕えれば、その「山の高さ」が、

だんだん低くなって行かないと、「収束」はまず無理ですよね。

 

と言うことで「第二波」というよりは、

私は「第2ステージ」と言う言葉を使いたいと思います。

 

「第1ステージ」とは違う闘い方が求められている。

同じ事をやってちゃ駄目なんだと言う意味も込めてです。

 

お店側もそれぞれに感染対策はするようになりました。

 

入口にアルコール消毒液が置かれ、レジにはシールドが貼られ、

並ばせない工夫や、距離を保って座る工夫もされていると思います。

 

また個人においても、今は皆マスクをしていますし、

手洗いもマメにするようになったと思います。

 

但しそれは「物理的には」ですよね。

「これ以上、何をすればいいの?」も物理的な話だと思うんです。

 

「第1ステージ」はそれで良かった。でもまた増えている訳で、

じゃあ「第2ステージ」はどうするのかと言う話ですが・・。

 

私が主張したいのは「認識」という事です。

 

それを話し言葉にすれば、小池都知事が言うように

「徹底してください」という言葉になってしまうのですが、

 

私が言いたいのは、その「徹底した行動」に移す、

もう少し前段階の「意識」の問題でしょうか。

 

多分やる事は変わらないのだろうと思います。

「三密を避ける」。それしか出来ないとも言えます。

 

但し「想像力を働かせて」です。

 

例えばスーパーで、お店に感染対策がしてあったとしても、

「なんか今日は凄く混んでるな」と思ったら、入店しない。

 

私は未だにそうしています。入口で「回れ右」をして、

店を変えたり、一度帰って時間帯をずらしたりします。

 

「アンタは暇で、主婦は忙しいのよ」と言われそうですし、

「どれだけ混んでたら引き返し、どのくらいならOKなのよ」

 

「基準を示せ」と、すぐに「基準、基準」という話になるのですが、

逆に言えば、そこなのです。

 

「何でそんなこと自分で判断できないの?」と思ってしまいます。

 

「これは三密になっちゃうな」とか、それしたら「ヤバイよね」と、

何で想像力が働かないのかと・・。

 

「満員電車でどうしろというのだ」と言い出せばキリがないのですが、

「三密を避ける」こと自体は、小学生にも分かる様な事ですよね。

 

「絶対に守れ」と言っている訳でもなくて、

「でも極力みんなで努力し合いましょうね」と言っているだけなのに・・。

 

「基準ありき」の話では無いですよね。

 

基準を守っていても、駄目な時もあるし、

基準を守られていなくても、良い場合もあるでしょうし、

 

逆に基準を設けたとしても、意識が低ければ、

指示されていないから、やらないとか、

解除されたから、騒いじゃおうとかになる訳でしょ?

 

車で穴場のキャンプ場に家族で出掛けて、

充分に距離が空いていれば、全く問題ない話ですよね。

 

それが「キャンプに行くなと言うのか!」と言う話になって来てしまう。

そうじゃないでしょうよと思うのですけれど・・。

 

「都心の(密集した)キャンプ場とかに行くから駄目なのよ」と言うと、

「じゃあ東京は駄目で、埼玉の川原ならいいのか!」になっちゃう。

 

めんどくせー!

(川原だって混んでたら駄目だし、東京だって空いてたら良いでしょ)

 

「マスクをずっとしていたら蒸れる。熱中症が心配だ」って・・?

田舎道を歩いていたり、脇道に反れて誰ともすれ違わないような道を

自転車をこいでいるなら、「マスク外しなさいよ!」です。

 

それを「これはOKですか?」とか「これは駄目ですか?」とか、

少し大袈裟に言いましたが、そういう風潮ありませんでしょうか?

 

「なんで?」と私は思うのです。

 

もちろん皆んなが皆、そうじゃないです。

 

誰かに言われようが言われまいが、当たり前のように、

店が混んでいたら入口で背を向けられる様な人達。

「飲み会は止めよう。家に帰ってネットで話そうよ」と言える人達。

 

そういう人達も居る訳ですけれど、

でも少数派なんじゃないかなぁと思うのです。

 

私は好きな理論なので、また登場させてしまいますが、

「2:6:2の法則」。

 

そう言う意識の高い人達が全体の2割。そして逆側の2割が

「コロナは年寄りの病気かと思ってた」と言う様な自覚の薄い人達。

 

特定の誰かが悪いと言う訳では無いのですけれど、やっぱり

そう言った「無自覚」が拡大の要因だったりすると思うんです。

 

残りの6割が、どっちにも振れてしまう中間層でしょうか。

その6割を、意識の高い方へと引っ張らないといけない。

 

個人レベルとしてはそれが急務で、逆を言うなら、

まだまだ個人でも努力すべき事はあるのかなぁと・・。

 

国はどうしても「経済を廻そう」という頭があって、

「GoTo」も打って出てしまいましたので、

「医療はひっ迫してない」とも言うのでしょうけれども、

 

現場の医師達が「ひっ迫してる」と言っているのですから、

危機感を持っている医師達の見立てが正しいに決まっています。

 

都合が悪い時は「専門家の意見を聞いて」と言うクセに、

肝心な事は無視するのは、何かズルい気もしますよね。

 

なんで同時にやらないんだろう?

 

地方と国との「ズレ」もそうですし、

いま私が言って来た様な意識の「ズレ」もそうですし、

 

いろいろな「ズレ」も明るみに出て来て、

「第2ステージ」は、その辺の話になりそうですよね。

 

私は叔父との暮らしですから、私が感染したら叔父が感染し、

デイサービスをクラスター化させ、誰かを死なせる。

 

「介護をしているアンタは特殊だ」と、ここでも言われそうですが、

私はそれぐらいの意識でいます。

 

でも普通に暮らせています。

 

買物にも行きますし、好きな本屋にも行きます。

武術の稽古にも行っています。

 

何がヤバくて、何がヤバくないか・・。

 

想像力を働かせてください。

それは行動する前の話なのです。

 

コロナがしゃべる訳ではないのですけれど、

「人間が意識を変えないなら、俺は引かないよ」と、

 

そんな風に言っているようにも思います。

 

少なくとも「簡単に収まる」とか、「そのうち収まる」とか

そういう他人事の意識は捨てた方がいいですよね。

 

「重症者が少ないから安心」とかも、既に1000人近い方が

お亡くなりになっていて、そういう話なのかと個人的には思います。

 

それにしても、どうでもいい法律はすぐに作るのに、

何でコロナ関連の法律はすぐに作らないのでしょうね。

 

地方自治体の条例は国の法律を超えられませんから、

現場が動けないじゃん・・。

 

「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」

『踊る大捜査線』織田裕二ふう。(古いか・・^^;)

 

本日もお読みいただき、感謝です。