●念じなくても花は開く | 日々是修行~人生の「道」を求めて

●念じなくても花は開く

本日の坐禅会での住職さんのお話が面白かったので、

忘れない内に、メモしておこうと思います。

 

築地・本願寺をお参りした際、

掲示板でこんな言葉を見つけたのだそうです。

 

念じなくても花は開く。念じても花は散る。

 

洒落が効いていますね。

この言葉にクスッと出来たら、タダ者ではないのかも・・。

 

先ずは仏教詩人の坂村真民さんを知らなければなりませんし、

「念ずれば花開く」という詩をひねったものだと知っている?

 

もちろん、そのまま読んでも意味は通じますが、

クスッと出来るのは、それを知っている人だけかなぁと・・。

 

念じようが、念じまいが

花は開くし、花は散る。

 

科学一辺倒で宗教を毛嫌いする人は、

「その通りじゃないか!」と思うかもしれませんけど、

 

そこはお寺ですから、そんな当たり前の事を

わざわざ言葉にする訳がありませんよね。

 

また、坂村真民さんの熱烈なファンの人の中には、

「坂村真民をバカにしているのか!」と怒り出す人や、

 

「祈り」を特別視している宗教家の方やスピリチュアルの人達も、

「ふざけてる!」と怒り出すかもしれませんけど・・。

 

「まぁまぁ。肩の力を抜いて」と言う感じでしょうか?

 

洒落は効いていますけれど、もちろんふざけてなどいませんし、

むしろ大真面目ではないかと私は思います。

 

花が咲くのも散るのも、

「私」の計らいとは、関係がないと言うことですよね。

 

また、「祈ることに意味などない」と、

そう言っている訳でもありません。

 

大体からして本願寺と言えば浄土真宗な訳です。

「念仏」の宗派です。「ナムアミダブツ」です。

 

私は、そこもクスッとしてしまったポイントなのですけど・・。

 

ちなみにですけれど、坂村真民さんの言ってる「花」って、

ここで言うところの「物質的な花」の事ではありません。

 

「花」は花でも、花の意味が違う。

 

時に、本日「偶然性の問題」という本を購入したところでした。

九鬼周造さんという日本の哲学者の本です。

 

「偶然か必然か?」

心友を介して、私にもたらされた新たな「お題」です。

 

繋がっていそう。

いや。たぶん繋がっているな・・。

 

こういう直感は外さないのです。

 

読み進めるにはかなり手強そうですけれど、

読み終えられたら、また書きますね。(^^)/

 

明日は旧友と逢うので行けませんが、

築地の本願寺にも行ってみたくなりました。

 

本日もお読みいただき、感謝です。