風に語りて

風に語りて

風に語りかければ言葉はすべてさらわれ

風に語りかければ風は聞いてくれない

風には聞こえない


「風に語りて(I Talk To The Wind)」キング・クリムゾン King Crimson

都合上、時おり更新の滞ることがゴザイマス。 返事が遅くなった時は何とぞご容赦くださいませm(_ _)m
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風を感じながら-File0038.jpg
 あなたは「あたらしい憲法のはなし」という本をご存知でしょうか?何年か前に復刻版が発行されたので、おそらく目にした方も少なくないでしょう。ここでその中から一部抜粋して紹介したいと思います。


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六 戦争の放棄

 みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。
ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。この前の世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。


 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。


 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。


 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争をおこさないようにいたしましょう。


「あたらしい憲法のはなし」文部省・1947年初版より抜粋、引用


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 崇高な理想を掲げて、復興のために立ち上がったあの時から62年経ったいま、私たちはこれをどう読み、何を考えるのでしょうか?

 ちなみに作家辺見庸は、著書「抵抗論」の中で上記の文章を紹介した上で次のように述べています。「私は嗤わない。ここには国家と戦争と憲法をめぐる高い質の哲学と平和に向けた行動のヒントがあるといまでも信じている。」


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 去年、この記事をアップしてから7ヶ月が経ち、安倍政権は明日にも安保法制を強行採決しようとしています。

 憲法の持つ意味とは何なのか?その憲法を守らず、戦争に向かって一気に突っ走る政権とは何なのでしょうか?

 戦争によって一番、しかも直接の被害を被るのは、弱者であって権力を持つ者ではありません。為政者にきちんと憲法を守らせる、あるいは戦争をさせないことを考えるという点において、まさに私たち国民が当事者なのです。
風を感じながら-File0038.jpg
 あなたは「あたらしい憲法のはなし」という本をご存知でしょうか?何年か前に復刻版が発行されたので、おそらく目にした方も少なくないでしょう。ここでその中から一部抜粋して紹介したいと思います。


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六 戦争の放棄

 みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。
ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。この前の世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。


 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。


 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。


 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争をおこさないようにいたしましょう。


「あたらしい憲法のはなし」文部省・1947年初版より抜粋、引用


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 崇高な理想を掲げて、復興のために立ち上がったあの時から62年経ったいま、私たちはこれをどう読み、何を考えるのでしょうか?

 ちなみに作家辺見庸は、著書「抵抗論」の中で上記の文章を紹介した上で次のように述べています。「私は嗤わない。ここには国家と戦争と憲法をめぐる高い質の哲学と平和に向けた行動のヒントがあるといまでも信じている。」


(2009年4月の記事に一部加筆・修正して掲載しました)
 いささか旧聞に属しますが、月刊鉄道情報誌・鉄道ピクトリアル2013年1月号の中で新年号スペシャルと題し「『デフレの正体』の藻谷浩介さんが語る鉄道の正体~まずは正しい事実認識を」という対談が特集されています。昨今のJR夜行寝台列車廃止、整備新幹線における並行在来線の第三セクター化などにも通じる内容だと思うので、ここで一部を紹介したいと思います。

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宇都宮浄人「日本の鉄道も課題が多いと思うんですが、全国を回られていると地域の鉄道の問題をいろいろとお感じになるのではないですか。2000年以降、廃止された鉄道路線は、東京から姫路(*管理人注;約644キロメートル)を越える距離になります」

藻谷浩介「まず、鉄道が廃止されることに対して、地域に関心がない、広がりがない、わかっていないんです。廃止反対フォーラムをやるので力を貸してくれと言われたけれども、集まっていたのは十数人ということもあります。北海道のちほく高原鉄道(*管理人注;池田と北見を結ぶ総延長140キロの路線・2006年4月21日廃止)や岐阜の600V(*管理人注;架線電圧が直流600ボルトの軌道・2005年4月1日全線廃止)区間、それに可部線(*管理人注;2003年12月1日可部駅~三段峡駅間46.2キロが廃止されたが、地元住民の熱心な活動もあって一部区間1.6キロが復活する予定)ですが、力足らずを痛感しました。ちほく高原鉄道についていえば、鉄道ファンの方でも年間4億、5億円赤字で残すというのはどうなのという感じかもしれません。けれども池北線を高速化すれば、網走や北見から、池北線・石勝線経由で札幌に早く出られる。しかし、実際にはこれを廃止して高速道路を作ってしまった。3桁億単位を投じて道東道を作ってしまった。私は、一応銀行員だったので、きちんと金勘定をするんです。金勘定をした上で合理的な判断をします。ちほく高原鉄道を高速化したほうが安いのか、莫大なお金をかけて道東道を整備し、しかも毎年除雪が必要になる方が安いのか」

宇都宮「確かに池北線の廃止にあたっては、さすがに乗る人も少ないし、廃止もやむを得ないかという気分でしたが」

藻谷「赤字の額と、道路を作って維持する方がかかる額の桁が違う。岐阜の美濃町線にいたっては、年間数千万円の赤字です。それを廃止して名鉄にお金を払い、廃線跡を道路にするだけで3桁億のお金がかかる。それだけあれば何十年も美濃町線を存続できる。それに、美濃町線と新関の間の雰囲気は実に良かった。電車にも乗ったし、自転車でも通ったな」

宇都宮「初めに廃止になったところですね。あそこは、部分廃止の代わりにわざわざ新関から新線を作って長良川鉄道の関の駅に乗り入れたんですよね」

藻谷「そうなんですよ。だからまた乗りにいっちゃった(笑)。地図上でみて路線がずれていると乗りに行くっていうルールなんですよ……ということはどうでもいいんですが、ともかく、岐阜市内線については、実は市長は存続してもいいと思っていた。ところが、地元の商店街が廃止しろの一点張りなんです」

宇都宮「地元に理解がない」

藻谷「商店街にお客が来ないのは電車があるせいだと言うのです。電車が邪魔でクルマで来るお客が減ると。そりゃ、電車があればお客が増えるというほど、世の中甘いもんじゃないですよ。しかし、電車をなくしてお客が増えるということは、150パーセントあり得ないって言ったんですが、これがわからないんです。情けないです。しかし、これもフォーラムの会場はガラガラ。結局、電車を廃止して、案の定商店街もお客は激減しました。そうすると、今度は不景気のせいだって(*管理人注;Wikipediaによれば、当時の岐阜市長・細江茂光氏(ちなみに今も現職)の資金管理団体「日本一元気な県都岐阜市を創る会」代表者は岐阜バスの前社長(この時点では相談役)であり、また岐阜バスには補助金を出していることから、議会でも同社との関係が存続断念に影響したのではないかと追及されているとのこと)」

宇都宮「当時、イギリスの雑誌には『潮流に逆行する日本の廃止(Japanese closure against the trend)』とタイトルが出ていました」

藻谷「みんな鉄道の収支というものがわかっていない。赤字っていうときの絶対額を知らない。変な市民ホールを維持する金額のほうが高い。それから、道路を維持管理する費用と鉄道を維持管理することをきちんと比較してほしい。案外鉄道は維持費が安いです。しかも道路は面積比例でコストがかかる。4車線あったら、除雪も舗装のやり直しもかなりかかるんですよ。ところが世の中は、道路はタダだと思っている。ローカル線なんか、列車の本数が少ないから線路の消耗も少ない。それを廃止したら、一から作り直すなんてできない。基本的な計算ができていないのです」

宇都宮「おっしゃるとおりです」

藻谷「宇都宮さんの『鉄道復権』にも書いてあります」

宇都宮「ともかく繰り返し言うしかないです。世で言う教養のある人までわかっていないように思います」

藻谷「イコールフッティング(*管理人注;商品・サービスの販売で、双方が対等の立場で競争が行えるように、基盤・条件を同一にすること)ということがわかっていない。単に、皆が言っているからそうなんだろうという、事実を知ろうとせず、空気だけで考える風潮です」

宇都宮「『デフレの正体』でも『KY』(空気しか読まない)を嘆いておられました」

藻谷「正しい事実を認識して、鉄道を維持したのが万葉線(*管理人注;2002年2月、前身の加越能鉄道から第三セクター・万葉線株式会社に事業譲渡された高岡駅~越ノ潟12.9キロを結ぶ路線)です。当時、勤め先の日本開発銀行でレポートを書くにあたり、銀行の富山事務所から資料を取り寄せて目からうろこが落ちました。万葉線を止めて代行バスを走らせるとお客は3分の1になる。過去の廃止事例の平均から考えれば不可避だ。一方、バスでも鉄道でも路盤以外の人件費は変わらない。そこで、当時高岡短大の学長だった蝋山先生が同じ経常費用がかかるんであれば、お客さんがたくさん乗る万葉線を残したほうがいいではないかとおっしゃるわけです。ただ、道路なら税金が簡単に出せるが、鉄道はお金をもってこなければならない。それで、一回限りで、市民までが出資し、別会社をつくって存続する。何が起きたか。実際にお客が増えている。1年、2年ではなくずっと増え続けている。富山ライトレールもそうですが、あの超クルマ社会のあの富山でできた」

宇都宮「クルマ社会だから、鉄道が要らないんではないんですよね」

藻谷「単に、鉄道は赤字で古いもの、止めるものという思い込みがあるんです。道路はタダという思い込み。景気の話でも何でもそうです。社会の同調圧力がある。だから、繰り返し言い続けるしかない。本来の金勘定で考えようぜって、戦い続けるんです」

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 たとえば、末端の鉄道路線が廃止されることは、その地域から見ればもしかしたら「小問題」かもしれませんが、これを全体的な交通体系という観点から見れば「大問題」であるとは言えないでしょうか。(「日本は鉄道先進国」とどなたかが言ってましたけれど、こと利用者の立場に立った交通施策の面から見ると「後進国」と言っても過言ではありません)

 しかも、安価で気軽に利用できる「地域の足」が失われることによって、その地域の経済までもが衰退してゆくとすれば、これは大変深刻な問題だと思うのです。

 自分が先日訪れた岡山市においても、「コンパクトシティー」というLRTを中心とした公共交通の拡充(現在、岡山駅から若干離れている路面電車の駅前乗り入れや吉備線のLRT化など)の政策提言がされていました。

 こうしたあくまでも利用者の立場に立った政策は地域の活性化につながるものであり、また、特に交通弱者である未成年と高齢者などの人たちにとっても「優しい」ものと言えるでしょう。(もちろん環境にも優しいし、エネルギーという点から見ても優れていると思います)

 最後に、鉄道は決して前時代的な古臭いものでも、あるいは必ずしも赤字を生む非効率で不経済なものでもないこと、そして華やかな目先のことのみにとらわれず、地域のためにどうするのがベター・ベストであるか、そのことを一人でも多くの方々に考えてもらえれば幸いです。

*参考までにこの記事もご覧ください→<寝台特急>国内最長列車 廃止のお寒い舞台裏 (毎日新聞) Yahoo!ニュース
http://bit.ly/SEX1ND

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上記毎日新聞記事中にも出ている「両備グループ」の岡山電気軌道(岡電)岡山駅前にて