桜宮高校で体罰を受けた末、自殺してしまった事件。

バスケットボール部のキャプテンが自殺をしたのだが、何でも自殺する前日、その教員に平手で30発も40発も殴られたという。

まだ日本には変わったことを教育に求める人たちが少なくなく、体罰は正しいと平気で言う。

でも、体罰をするのって何の効果があるのだろうか。

そもそも体罰が結果でなく、あくまでその結果に導くためのプロセスであり、ツールであるというなら、もし望むべく結果が出なかったら、それはただの暴力で終わる。

これもまだまだ日本は時代錯誤の考えが残っていて「愛のむち」をひどく美化する。

こういうことを言えるのは、悪しき日本の精神構造に来ているといえるのかもしれない。

ある特定の宗教を云々いうのは抜きにしても、もともと「自己犠牲」の考えが来ている日本人は、死と言うモノの意味も外国に比べれば随分と変わっている。

戦争して全く勝ち目もないのは分かっている時、日本は何をしたか。

相手につっこんでいって自滅すること、いわゆる特攻隊のアイデアに及んだ。

死んでも別に恥じらうことも、また罪深く感じることは何もない。

そこで出てくるのがよく問題視される靖国神社。

「靖国で皆に会う」ということを思い、自殺飛行に出た。

あれから数十年たっても、姿も形も変えても、そのとんだメンタリティは今21世紀に脈々といきつがれている。

オレはこれこそ、バカげた精神でしかないと思う。

これだから日本人は命を粗末にするやつらが多いのだ。

今年はたまたまだけど、自殺者も年間3万人オーバー、15分だか16分に1人が自殺する異常な事態が続いているのだ。

とにかくオレは桜宮高校の事件は体罰もいじめも未だ美化するこの社会が引き起こしたものだと思う。

決して偶発事ではない。

オレは橋元市長が受験を中止したり、教員総入れ替えしたりするのはやり過ぎと言う声が多いにせよ、オレは賛成する。

理由は簡単、人が死んでいるということ、そして体罰を美化するこの社会風潮をこれを契機に変えなくてはいけないと思うから、そのためにはかなりの荒療治が必要って言うこと。

それを橋元市長はやっているって言うことなんだよね。

$貧困ぜいたくオヤジのひとりごと

久々のうどん美味かったな~。