ニューヨークで、あるいはLAで今何が起こっているのか。
日本人であるオレでもよく分かっている。
が、彼らはどっかノー天気なんでしょうな。
日本もアメリカも、こんな不景気で仕事も無い世の中なのに、アメリカでまた銃の乱射が起こったという話を聞いた。
確かに「またか」という気持ちはこういった事件がおきるたんびに思うんだけど、
じゃあ、何が「またか」というと、銃の乱射が起きるたんびに、「二度と繰り返しません」というような感じで、人達は互いに抱擁しあい悲しむ。
そもそも銃規制も、格差社会も根幹とあるのは同じものなんじゃないのだろうか。
「どちらにしても制度疲労を起こしている。」
「どちらも今の世の中には見合っていない古い考え、価値観」となってしまったということだろう。
銃なんて日本で言ったら、かつてのお侍さんの刀みたいなもんで、それを初めて持てて、人として一人前という考えが日本にはあったし、アメリカには今でもあるだろう。
しかし、日本はお侍さんの世の中が終われば、チョンマゲも切り落として、刀も捨てた。
時代が経てば、いつまでも昔の価値観を持っているわけにはいかない。
文明開花しなければいけないのを、切捨てご免しているわけにはいかないからだ。
が、かたやアメリカはそれをいつまでも捨てきれず、現代まで来てしまっている。
もはや馬乗ってアメリカ人は生活なんぞしない。
選挙の仕方も変えなくてはいけないと思うのだが、何日もかけて選挙に出かける時代はとっくに終わっている。
それどころか、PC、スマートフォン、ノートパッドまで出来上がり、面を向けなくても互いにコミュニケーションが取れる時代なのに、あえて銃で自らを武装する必要がどこにあるのだろうか。
理解に苦しむ。
格差社会だって同じだ。
もはやかつてのゴールドラッシュのように、一攫千金、夢を求めて世界中から移民が集まってきた時期ではない。
さらにあれだけ2つの戦争が泥沼と化し、おかげで経済も疲弊しているのに、金がなくなるだけで、収入がなく、さらに何も保障がない、仕事が無くなれば、一気に人生追い込まれるわけだ。
そこまでいったら、オレも彼らも同じ人間、どう考えても厳しすぎる。
ただしそこはいい意味、悪い意味ともに、利ざといアメリカ人だ。
今では、世界中に発信していた、「アメリカンドリーム」を否定するデモを始めた。
正直、オレは今でもそんなデモが起きるなんて信じられない。
が、現実は現実。
現実無くして理想見るなかれ。
アメリカはもはやアメリカンドリームを夢見る場所ではなくなった。
であるから、それを求めて生活をかける場所でもなくなったということだ。
銃だって一緒。
あれだけの媒体、ネットワークがあるのに、武装するのは理解に苦しむ以外の何物でもない。
自分を守るなら、銃以外にもいくらでもある。
ちなみに世界の多くはそうやって皆、自らの身を守っているわけだ。
それに銃を持つ事で大きなマイナスになるのは、人同士信じあえなくなるということではないだろうか。
アメリカでは自分さえよければという考えがある。
かつてだったら、一人でも生きていけるのかもしれなかった。
が、これからはあまり独善的にならず、回りを見てそして他人を少しでも信じられる国にしていく必要があると思う。
今、逆に日本がそういうもので、中途半端にアメリカナイズされたりもしているくらいだから、よく分かる。
銃と格差社会は世界が一番アメリカという国を誤解している部分である。
この2つは解消されれば、世界は見方を変えるはずだと思う。
そしてもはやその見方の存在というものを、アメリカはジャけにしてはならない。
911からもう10年経ったんだから、いい加減に「あれは一体ナンだったのか」ということが分からなければ、
そしてそれから10年間、「それがあってあれから何をしてきた、結局、今どうなっているのか」ということを分からなければなって思ったよ。
日本もそうだが、アメリカもいい加減に変われだ。

日本人であるオレでもよく分かっている。
が、彼らはどっかノー天気なんでしょうな。
日本もアメリカも、こんな不景気で仕事も無い世の中なのに、アメリカでまた銃の乱射が起こったという話を聞いた。
確かに「またか」という気持ちはこういった事件がおきるたんびに思うんだけど、
じゃあ、何が「またか」というと、銃の乱射が起きるたんびに、「二度と繰り返しません」というような感じで、人達は互いに抱擁しあい悲しむ。
そもそも銃規制も、格差社会も根幹とあるのは同じものなんじゃないのだろうか。
「どちらにしても制度疲労を起こしている。」
「どちらも今の世の中には見合っていない古い考え、価値観」となってしまったということだろう。
銃なんて日本で言ったら、かつてのお侍さんの刀みたいなもんで、それを初めて持てて、人として一人前という考えが日本にはあったし、アメリカには今でもあるだろう。
しかし、日本はお侍さんの世の中が終われば、チョンマゲも切り落として、刀も捨てた。
時代が経てば、いつまでも昔の価値観を持っているわけにはいかない。
文明開花しなければいけないのを、切捨てご免しているわけにはいかないからだ。
が、かたやアメリカはそれをいつまでも捨てきれず、現代まで来てしまっている。
もはや馬乗ってアメリカ人は生活なんぞしない。
選挙の仕方も変えなくてはいけないと思うのだが、何日もかけて選挙に出かける時代はとっくに終わっている。
それどころか、PC、スマートフォン、ノートパッドまで出来上がり、面を向けなくても互いにコミュニケーションが取れる時代なのに、あえて銃で自らを武装する必要がどこにあるのだろうか。
理解に苦しむ。
格差社会だって同じだ。
もはやかつてのゴールドラッシュのように、一攫千金、夢を求めて世界中から移民が集まってきた時期ではない。
さらにあれだけ2つの戦争が泥沼と化し、おかげで経済も疲弊しているのに、金がなくなるだけで、収入がなく、さらに何も保障がない、仕事が無くなれば、一気に人生追い込まれるわけだ。
そこまでいったら、オレも彼らも同じ人間、どう考えても厳しすぎる。
ただしそこはいい意味、悪い意味ともに、利ざといアメリカ人だ。
今では、世界中に発信していた、「アメリカンドリーム」を否定するデモを始めた。
正直、オレは今でもそんなデモが起きるなんて信じられない。
が、現実は現実。
現実無くして理想見るなかれ。
アメリカはもはやアメリカンドリームを夢見る場所ではなくなった。
であるから、それを求めて生活をかける場所でもなくなったということだ。
銃だって一緒。
あれだけの媒体、ネットワークがあるのに、武装するのは理解に苦しむ以外の何物でもない。
自分を守るなら、銃以外にもいくらでもある。
ちなみに世界の多くはそうやって皆、自らの身を守っているわけだ。
それに銃を持つ事で大きなマイナスになるのは、人同士信じあえなくなるということではないだろうか。
アメリカでは自分さえよければという考えがある。
かつてだったら、一人でも生きていけるのかもしれなかった。
が、これからはあまり独善的にならず、回りを見てそして他人を少しでも信じられる国にしていく必要があると思う。
今、逆に日本がそういうもので、中途半端にアメリカナイズされたりもしているくらいだから、よく分かる。
銃と格差社会は世界が一番アメリカという国を誤解している部分である。
この2つは解消されれば、世界は見方を変えるはずだと思う。
そしてもはやその見方の存在というものを、アメリカはジャけにしてはならない。
911からもう10年経ったんだから、いい加減に「あれは一体ナンだったのか」ということが分からなければ、
そしてそれから10年間、「それがあってあれから何をしてきた、結局、今どうなっているのか」ということを分からなければなって思ったよ。
日本もそうだが、アメリカもいい加減に変われだ。
