8月に入って、2日連続でブログを休んでしまったけど、別に大したことはない。
ただ、飲みすぎていたって言うだけなんだけども。
気がついていたら、今の失業生活も2年目に突入してしまったよ。
先週でなく、去年の7月30日に会社を退職して以来、当初からしてみたら、まさか、こんなに長引くものとは思っていなかった。
ま、しばらくは休んでも、数ヶ月活動したら、何らかの仕事は得られるものだと思っていた。
が、いざ蓋を開けてみたら、今回はそうは行かぬどころか、予想をはるかに上回る長さの失業となってしまった。
1年間も失業するなんて、本当に珍しいよ。
考えられなかったが、現実になってしまったよ。
ま、それでも四十路になって、年も年だし、「もう一度、サラリーマンをやってみよう。」と決心して実際はこの半年位かな。
仕事探してきたのだから。
その代り、もう一度、サラリーマンやってダメだったら、ダメで、他に何か出来ることが見つからなければ、その時点で何らかの腹をくくるしかないね。
もう一度、サラリーマンやりながら、今度は残りの人生をどうするか、随分と長期に物事を考えていかなければいけない。
そんなこといったら、オレの10代、20代、そして30代は一体何やっていたんだろう。って言うことになるのかもしれないけども。
ちなみに
オレの10代、
15の時に、アメリカにホームステイしたのをきっかけに、高校卒業後、アメリカの大学に進学した。
今思えば、若気の至りで随分と軽い行動だったかもしれないけど。
今、18の若者って、オレがアメリカに留学している時に生まれた子達と言うのを考えると時の重さを感じてしまうよ。
そして20代、
アメリカで二十歳もそして21歳も向かえた。
日本にいなかったから、二十歳と言っても、実感は薄かった。
ただ、さすが21歳になったときはうれしかったね。
ビールを買いに走ったのは、今でも覚えているし、決して忘れる事ないでしょう。
あれから、20年経って、今の日本も身分証明なくてはビールが買えなくなってしまったなんて当時のオレからしてみたら、考えられないけどね。
途中、日本に帰ってきたりした時期もあったけど、結局、4年制まで出たよ。
卒業した時は、もう26になっていた。
夢だったアメリカで職を探すも見つからず、うんとも言わず、泣く泣く無念の帰国した日をオレは今でも忘れないし、恐らく一生忘れないでしょう。
今思えばそれは何も間違えではなかったというのが、分かるんだけども。
それがトラウマみたいになって、以来、アメリカから距離を置くようになった。
それから10数年経った。
未だに自分の生き方が定まらないようで、結果、1年も失業してしまった。
それでも、まだまだ。
ただ、さすがに失業生活も2年目に入ると、気がめいってくるね。
この1年でオレはロクなモットーと言うか、すきな言葉の一つ出来なかったけど、
「上を向いて歩こう。」
「下を向いて悲しむよりは、上を向いてバカになった方がいい。」
そんなわけで、2年目も今と変わらずではこまるけど、仕事早く見つけるべくやっていきます。
そんなオレの失業1周年はというと、
日曜から昨日まで3食連続で吉野家に行きましたッ!!
まずは月曜・・・



そして昨日も・・・



吉野家牛丼並110円引きの270円!
失業者にとってはウレシすぎるではありませんか。
ま、どっかの年収4000万ウォンの女医さんだったら、
「初めて食べる」って言うけど、
「オレはこの時だけしか食べない!か、食べれない!」だね。
やっぱり、吉野家だね!
本当は吉野家だ!
ただ、飲みすぎていたって言うだけなんだけども。
気がついていたら、今の失業生活も2年目に突入してしまったよ。
先週でなく、去年の7月30日に会社を退職して以来、当初からしてみたら、まさか、こんなに長引くものとは思っていなかった。
ま、しばらくは休んでも、数ヶ月活動したら、何らかの仕事は得られるものだと思っていた。
が、いざ蓋を開けてみたら、今回はそうは行かぬどころか、予想をはるかに上回る長さの失業となってしまった。
1年間も失業するなんて、本当に珍しいよ。
考えられなかったが、現実になってしまったよ。
ま、それでも四十路になって、年も年だし、「もう一度、サラリーマンをやってみよう。」と決心して実際はこの半年位かな。
仕事探してきたのだから。
その代り、もう一度、サラリーマンやってダメだったら、ダメで、他に何か出来ることが見つからなければ、その時点で何らかの腹をくくるしかないね。
もう一度、サラリーマンやりながら、今度は残りの人生をどうするか、随分と長期に物事を考えていかなければいけない。
そんなこといったら、オレの10代、20代、そして30代は一体何やっていたんだろう。って言うことになるのかもしれないけども。
ちなみに
オレの10代、
15の時に、アメリカにホームステイしたのをきっかけに、高校卒業後、アメリカの大学に進学した。
今思えば、若気の至りで随分と軽い行動だったかもしれないけど。
今、18の若者って、オレがアメリカに留学している時に生まれた子達と言うのを考えると時の重さを感じてしまうよ。
そして20代、
アメリカで二十歳もそして21歳も向かえた。
日本にいなかったから、二十歳と言っても、実感は薄かった。
ただ、さすが21歳になったときはうれしかったね。
ビールを買いに走ったのは、今でも覚えているし、決して忘れる事ないでしょう。
あれから、20年経って、今の日本も身分証明なくてはビールが買えなくなってしまったなんて当時のオレからしてみたら、考えられないけどね。
途中、日本に帰ってきたりした時期もあったけど、結局、4年制まで出たよ。
卒業した時は、もう26になっていた。
夢だったアメリカで職を探すも見つからず、うんとも言わず、泣く泣く無念の帰国した日をオレは今でも忘れないし、恐らく一生忘れないでしょう。
今思えばそれは何も間違えではなかったというのが、分かるんだけども。
それがトラウマみたいになって、以来、アメリカから距離を置くようになった。
それから10数年経った。
未だに自分の生き方が定まらないようで、結果、1年も失業してしまった。
それでも、まだまだ。
ただ、さすがに失業生活も2年目に入ると、気がめいってくるね。
この1年でオレはロクなモットーと言うか、すきな言葉の一つ出来なかったけど、
「上を向いて歩こう。」
「下を向いて悲しむよりは、上を向いてバカになった方がいい。」
そんなわけで、2年目も今と変わらずではこまるけど、仕事早く見つけるべくやっていきます。
そんなオレの失業1周年はというと、
日曜から昨日まで3食連続で吉野家に行きましたッ!!
まずは月曜・・・



そして昨日も・・・



吉野家牛丼並110円引きの270円!
失業者にとってはウレシすぎるではありませんか。
ま、どっかの年収4000万ウォンの女医さんだったら、
「初めて食べる」って言うけど、
「オレはこの時だけしか食べない!か、食べれない!」だね。
やっぱり、吉野家だね!
本当は吉野家だ!