テレ朝で世界水泳を見たよ。
北島惜しいな~。
中々、いいところまでいっていたと思ったんだけど、最後の最後で隣のレーンで追い上げていた、ハンガリーの選手にタッチの差でやられたな。
ま、これも厳しい勝負の世界。
銀メダルで、ロンドン五輪即確定までは行かなかったけど、まだ1年あって、可能性はなくなったわけじゃないんで、頑張って欲しいね。
オレが北島康介を一番買っている点は、「本番力の強さ」。
何十年経ってもセールストークだって人前ではロクすっぽに出来ない、オレから見ると彼は典型的な一回で決めてしまうタイプ。
なんで全く違う世界に生きていても、北島はすごい人間に見えてきてしまう。
アテネでも北京でも本番の時には、一回で最高の結果を出してしまった。
オレの中では、好きなアスリートの一人だ。
あれ程強い「本番力」を兼ね備えている裏には何があるのだろうか。
「強靭な精神力」と言うことなのかもしれないが、では、果たしてその精神力はどういう感じで養っていくのか。具体例をいつかお会いしたなら、頂きたいと思っているくらいだ。
すごいアスリートでも、役者でも、ビジネスマンでも、「最高の奴」というのは、「本番力の強さ」にあるのではないかと思う。
特にオレが今置かれている立ち場、2年目の失業生活を強いられているのは、「本番力のなさ」と言う致命傷がたたっていると、言うのが理解できる。
厳しく言うと、本番力が足りていないからこそ、オレは書類を通過したとしても、面接が未だに通っていないということになる。
面接のパフォーマンスで決定力不足だったからこそなのだが、さすがにそう思うと自分の弱さ、軟弱さを嫌がうえでも認めなくてはいけない。
では、その足りない「本番力」をどのようにして養えば、克服出来るのか。
人からいわせると、「お寺に行って座禅組めば」といわれるかもしれないが、それこそただの応急処置にしか思えない。
応急処置では終わらないモノだから、難しい課題であり、解決策が出れば事態が大きく変わるもんだと思う。
「本番力」があるのとないのとでは、人生が大きく変わってきてしまう。
「決定力」のある無しは、二つある角のように例えられる。
左に曲がるのと、右に曲がるのでは、その後が全く変わってきて、その結果、その後に出合う角だって左に曲がろうが、右に曲がろうが、それぞれ違ったものになってくる。
こう考えると「決定力」は無限の可能性を秘めた大事な力だ。
話がそれたけど、アスリートだったら、オリンピックでのメダル取るだけでもすごすぎることなのに、メダルの色、金か銀と言うだけでも、極端な話、その後の人生も変わってくる。
テレビに出て有名になってギャラも沢山もらえるか、引退して地味な指導者になっているか、それともサラリーマンになっているか、飲食店でもやっているか。
サラリーマンや飲食店やったとしても、顔と名前がそこそこ知れているので、全くの一般人よりは売りやすい。
オレやろうとも思わんし、出来る何と思っていないしな。
ここまで位だったらはまだいいかもしれない。
メダルもとれないと、あるいは、予選で負けてしまったら、引退してもその後の人生に迷い、失踪してしまうか、最悪、それこそ昨日の伊良部じゃないけど、自殺してしまうか。
オレは海外に行っても、失踪なんてしないで、真面目に日本に帰ってきているし、自殺なんて逆に怖くて出来ないし。
自殺するのも案外度胸がいるもんだと思うが。
こう思うとオリンピックのアスリートも中々、辛い精神状態で競技しているんだなって思う。
そもそも、その競技が好きで、例えば水泳が好きで北島選手は子供の時に水泳教室に行き始めたと思うんだけど、それが発展していけば、ここまでの厳しい結末に左右される事実は、オレから見ればちょっと複雑にも見えるし、今ひとつ納得もいかない。
ただ人生は好きなことをやれるのが、一番幸せなのだから、それでいいのかもしれないが。
楽しい趣味のうちで終わらせるのか、はたまた、厳しい人生を生き抜く手段というよりは、人生そのものの意味にするのかである。
オレにそれは無いけど、北島選手にはそれがあるし、メダルまでついてきたんだから、これほど羨ましい物はオレから見るとないと思う。
きっとロンドンで金メダルをとるよ。
北島は。
そして彼のその後の人生も、順風満帆に成ると思う。
北島惜しいな~。
中々、いいところまでいっていたと思ったんだけど、最後の最後で隣のレーンで追い上げていた、ハンガリーの選手にタッチの差でやられたな。
ま、これも厳しい勝負の世界。
銀メダルで、ロンドン五輪即確定までは行かなかったけど、まだ1年あって、可能性はなくなったわけじゃないんで、頑張って欲しいね。
オレが北島康介を一番買っている点は、「本番力の強さ」。
何十年経ってもセールストークだって人前ではロクすっぽに出来ない、オレから見ると彼は典型的な一回で決めてしまうタイプ。
なんで全く違う世界に生きていても、北島はすごい人間に見えてきてしまう。
アテネでも北京でも本番の時には、一回で最高の結果を出してしまった。
オレの中では、好きなアスリートの一人だ。
あれ程強い「本番力」を兼ね備えている裏には何があるのだろうか。
「強靭な精神力」と言うことなのかもしれないが、では、果たしてその精神力はどういう感じで養っていくのか。具体例をいつかお会いしたなら、頂きたいと思っているくらいだ。
すごいアスリートでも、役者でも、ビジネスマンでも、「最高の奴」というのは、「本番力の強さ」にあるのではないかと思う。
特にオレが今置かれている立ち場、2年目の失業生活を強いられているのは、「本番力のなさ」と言う致命傷がたたっていると、言うのが理解できる。
厳しく言うと、本番力が足りていないからこそ、オレは書類を通過したとしても、面接が未だに通っていないということになる。
面接のパフォーマンスで決定力不足だったからこそなのだが、さすがにそう思うと自分の弱さ、軟弱さを嫌がうえでも認めなくてはいけない。
では、その足りない「本番力」をどのようにして養えば、克服出来るのか。
人からいわせると、「お寺に行って座禅組めば」といわれるかもしれないが、それこそただの応急処置にしか思えない。
応急処置では終わらないモノだから、難しい課題であり、解決策が出れば事態が大きく変わるもんだと思う。
「本番力」があるのとないのとでは、人生が大きく変わってきてしまう。
「決定力」のある無しは、二つある角のように例えられる。
左に曲がるのと、右に曲がるのでは、その後が全く変わってきて、その結果、その後に出合う角だって左に曲がろうが、右に曲がろうが、それぞれ違ったものになってくる。
こう考えると「決定力」は無限の可能性を秘めた大事な力だ。
話がそれたけど、アスリートだったら、オリンピックでのメダル取るだけでもすごすぎることなのに、メダルの色、金か銀と言うだけでも、極端な話、その後の人生も変わってくる。
テレビに出て有名になってギャラも沢山もらえるか、引退して地味な指導者になっているか、それともサラリーマンになっているか、飲食店でもやっているか。
サラリーマンや飲食店やったとしても、顔と名前がそこそこ知れているので、全くの一般人よりは売りやすい。
オレやろうとも思わんし、出来る何と思っていないしな。
ここまで位だったらはまだいいかもしれない。
メダルもとれないと、あるいは、予選で負けてしまったら、引退してもその後の人生に迷い、失踪してしまうか、最悪、それこそ昨日の伊良部じゃないけど、自殺してしまうか。
オレは海外に行っても、失踪なんてしないで、真面目に日本に帰ってきているし、自殺なんて逆に怖くて出来ないし。
自殺するのも案外度胸がいるもんだと思うが。
こう思うとオリンピックのアスリートも中々、辛い精神状態で競技しているんだなって思う。
そもそも、その競技が好きで、例えば水泳が好きで北島選手は子供の時に水泳教室に行き始めたと思うんだけど、それが発展していけば、ここまでの厳しい結末に左右される事実は、オレから見ればちょっと複雑にも見えるし、今ひとつ納得もいかない。
ただ人生は好きなことをやれるのが、一番幸せなのだから、それでいいのかもしれないが。
楽しい趣味のうちで終わらせるのか、はたまた、厳しい人生を生き抜く手段というよりは、人生そのものの意味にするのかである。
オレにそれは無いけど、北島選手にはそれがあるし、メダルまでついてきたんだから、これほど羨ましい物はオレから見るとないと思う。
きっとロンドンで金メダルをとるよ。
北島は。
そして彼のその後の人生も、順風満帆に成ると思う。