今日で地震が発生して丸一週間。

この一週間は、あっという間に過ぎたけど、東日本の国民生活は厳しさを物語った。

東北3県の被災地の実際に関しては、テレビで報じられている以上のモノと想像する。

200キロ、あるいは300キロ以上離れた都心は、それに比較したら、はるかに楽な方だと思う。

まず電気はつく。

被災地が必要なニュースが皮肉になるけど、こっちでは見れる。

電話も通じる。

この1週間の間、始まった計画停電だって都心の多くの場所では行なわれていなかったりする。

本数へっても電車は動いている。

営業時間短縮でも店は開いている。

その店の中にはモノが不足して、あちこちの商品棚スカスカだけど、それでも選択しなければ何らかの食べ物は手に入る。

ただ、この一週間、都心のそんな状況見てきて思ったこととして、被災地でガソリンが、その他のモノがないのは、はっきり言ってこっちの責任だと思った。

総人口1億2千800万、その中でも取分け総人口の10人に1人の首都による、フルパワーの買いだめする都民が被災者のことをどう思うのか。

「被災者がかわいそうなのは、分かっている。でも、我々だって生きるか死ぬか、必死なんだ。」

そう言うんだったら、こんな時期にベンツや、フェラーリ乗って、トラックの前に割り込んでガスいれるんじゃねえよ。

あるいは国産のワンボックスカーでも、家の水道水飲めるのに、ダンボール一杯ミネラルウオーター買うなよ。米だってまだあるくせに何10キロって買うなよ。

そんな不届きなオーナーのせいで、物資がいかず、中には命を落とす被災者も出てきてるんだぜ。

ある市長が、面目捨ててまで、ツイッターで「このままでは餓死するんで助けて下さい。」とかいう事態になるんだよ。

ガソリンがいかないと、現地への物質支援のみならず、それを促進させる復興活動も皆と言っていいほど立ち行かなくなる。

そんな不のスパイラル状態に、未曾有の震災でも陥ってしまう。

これら数々、被災後格差は何と露骨なものなんだろう。

そう思いながらも、この1週間、都心にいるオレだって厳しかった。

失業中のオレにとっては、求職活動がままならない。

掲載求人が激減。

応募しても、フィードバックがない。

計画停電で採用担当の住んでいる場所によっては、自宅待機になったりもする。

日が経てば、モノはスーパー、コンビニに戻ってくる。

しかし、仕事までは簡単に戻ってくるか。

就職って時間が過ぎれば、過ぎるほど、不利になる。

本人は精神的に参ってくれば、相手はブランクをよりマイナスにみるだろう。

「今日は我が身だけど、明日はオマエさんの身」だろうに。

そう思うと、この震災、オレだって被災者なんだ。

この1週間の間、そう気づいた。