人によってイタリア人は、別の言葉で言い換えれば、「マヌケな民族」って言われても仕方ないのか。
でもその正反対の民族にも今回の旅で出会った。
それはトルコ人。
トルコ人はアタマのいい民族だと思った。
悪く言えば、口が上手いし、時には悪知恵たくらんでいるかもしれないが、でも、それらって裏を返せば、アタマのいい民族と言うことになると思う。
騙されてはいけない人たちとも旅行者にとっては言えよう。
今回オレはギリシャのアテネから、陸路でトルコのイスタンブールに入った。
アテネはホントに化石のように古めかしくて、ギリシャ神話の時代からそのまんま時間だけ経過したような感じだったけど、イスタンブールに入ると、途端に活気が出てくる。
イスタンブールにある2つのバスターミナルで、ヨーロッパサイドにあるエッセンレールバスターミナルに到着した途端、長距離バスの呼び込みの声が響き渡る。
その響き渡る様子は、マレーシアと同じだった。
イスラム圏にやってきたと思わされた瞬間でもあった。
電車を乗り継いで旧市街、ブルーモスクのある安宿街に行くと、いきなり数人の現地人から、英語とそして日本語で話しかけられた。
正直、日本語で話しかけてくる輩は、下心丸出しだから注意した方がいいというのは常識だけども、ただその割には皆日本語が流暢すぎる。
発音は我々と一緒。
一発で日本に住んでいた時期がある人たちが多いと言う事が分かった。
現に出会ったうちの一人は、高田馬場に住んでいて日本人の奥さんがいて、ある日、大阪の梅田に行ったのはいいけど、そこで奥さんの浮気現場に遭遇し、その日の夜中、失意と怒りにあえぎながら、4万8千円のタクシー代を払って、馬場のアパートに戻って、そこから自分の荷物を持ち出しトルコに帰ったと言う経歴の持ち主もいたくらいなのだ。
曰く「正直、彼女を殺してやりたい!」
完璧なアクセントだった。
その他さらに3~4人のトルコ人に流暢な日本語で立ち話をされた。
オレは6年アメリカに行っていて、学生英語プラスビジネス英語の素養だって少しは持っているつもりだが、オレの英語の20倍は皆、日本語のスキルが高い。
これだけでもトルコ人のアタマのよさを感じるのに、翌日、前日出会ったトルコ人にまた新たに紹介されたトルコ人彼はカーペット屋。
カーペットのセールスしたいというのは分かる。
別に買わなくともいいんでトルコ絨毯どんなのか見ていいなと思ったんで、彼が働いているお店まで行ってみた。
店の中には無数の色鮮やかな絨毯が売られていた。
やがてその彼からトルコ絨毯の説明を受けた。
それから1時間余り、オール日本語、完璧なセールスプレゼンだった。
セールスを受けているとは感じられなかった。
その余りのスキルの高さ。そしてそれに比較して自分オマヌケさを痛感した。
「オレの英語もまだまだ偽物なんだな」って。
コン年になって、しかも、英語が母国語でもなんともない、トルコでそう感じるとは・・・
世の中すごい人達がいるもんだ。
その日本人と寸分たりとも変わらぬ日本語プラス、悪知恵駆使したセールススキルを容赦なく彼らはぶつけてくる。
そういう相手と日本人はビジネスをしていくのだ。
世界と渡り合うと言う意味が十分に分かった。
これがイタリア人なんかだと、マヌケだけど楽しいいたずらっ子くらいにしか感じないだろうし、ギリシャ人だと単なる怠け者にしかならないのだろうな。

エッセンレールのバスターミナル。
トルコ国内はもとより、ギリシャやブルガリア、さらにはシリアやイラン、アゼルバイジャンまで行くような国際バスの発着ターミナル。
今回は往路はシリアのダマスカス、復路は南のアンタッキャからここ経由でブルガリアのソフィアに旅立った。
ホント、周りの雰囲気はマレーシアのマラッカやKLのバスターミナルのように活気に満ち溢れているよ。
でもその正反対の民族にも今回の旅で出会った。
それはトルコ人。
トルコ人はアタマのいい民族だと思った。
悪く言えば、口が上手いし、時には悪知恵たくらんでいるかもしれないが、でも、それらって裏を返せば、アタマのいい民族と言うことになると思う。
騙されてはいけない人たちとも旅行者にとっては言えよう。
今回オレはギリシャのアテネから、陸路でトルコのイスタンブールに入った。
アテネはホントに化石のように古めかしくて、ギリシャ神話の時代からそのまんま時間だけ経過したような感じだったけど、イスタンブールに入ると、途端に活気が出てくる。
イスタンブールにある2つのバスターミナルで、ヨーロッパサイドにあるエッセンレールバスターミナルに到着した途端、長距離バスの呼び込みの声が響き渡る。
その響き渡る様子は、マレーシアと同じだった。
イスラム圏にやってきたと思わされた瞬間でもあった。
電車を乗り継いで旧市街、ブルーモスクのある安宿街に行くと、いきなり数人の現地人から、英語とそして日本語で話しかけられた。
正直、日本語で話しかけてくる輩は、下心丸出しだから注意した方がいいというのは常識だけども、ただその割には皆日本語が流暢すぎる。
発音は我々と一緒。
一発で日本に住んでいた時期がある人たちが多いと言う事が分かった。
現に出会ったうちの一人は、高田馬場に住んでいて日本人の奥さんがいて、ある日、大阪の梅田に行ったのはいいけど、そこで奥さんの浮気現場に遭遇し、その日の夜中、失意と怒りにあえぎながら、4万8千円のタクシー代を払って、馬場のアパートに戻って、そこから自分の荷物を持ち出しトルコに帰ったと言う経歴の持ち主もいたくらいなのだ。
曰く「正直、彼女を殺してやりたい!」
完璧なアクセントだった。
その他さらに3~4人のトルコ人に流暢な日本語で立ち話をされた。
オレは6年アメリカに行っていて、学生英語プラスビジネス英語の素養だって少しは持っているつもりだが、オレの英語の20倍は皆、日本語のスキルが高い。
これだけでもトルコ人のアタマのよさを感じるのに、翌日、前日出会ったトルコ人にまた新たに紹介されたトルコ人彼はカーペット屋。
カーペットのセールスしたいというのは分かる。
別に買わなくともいいんでトルコ絨毯どんなのか見ていいなと思ったんで、彼が働いているお店まで行ってみた。
店の中には無数の色鮮やかな絨毯が売られていた。
やがてその彼からトルコ絨毯の説明を受けた。
それから1時間余り、オール日本語、完璧なセールスプレゼンだった。
セールスを受けているとは感じられなかった。
その余りのスキルの高さ。そしてそれに比較して自分オマヌケさを痛感した。
「オレの英語もまだまだ偽物なんだな」って。
コン年になって、しかも、英語が母国語でもなんともない、トルコでそう感じるとは・・・
世の中すごい人達がいるもんだ。
その日本人と寸分たりとも変わらぬ日本語プラス、悪知恵駆使したセールススキルを容赦なく彼らはぶつけてくる。
そういう相手と日本人はビジネスをしていくのだ。
世界と渡り合うと言う意味が十分に分かった。
これがイタリア人なんかだと、マヌケだけど楽しいいたずらっ子くらいにしか感じないだろうし、ギリシャ人だと単なる怠け者にしかならないのだろうな。

エッセンレールのバスターミナル。
トルコ国内はもとより、ギリシャやブルガリア、さらにはシリアやイラン、アゼルバイジャンまで行くような国際バスの発着ターミナル。
今回は往路はシリアのダマスカス、復路は南のアンタッキャからここ経由でブルガリアのソフィアに旅立った。
ホント、周りの雰囲気はマレーシアのマラッカやKLのバスターミナルのように活気に満ち溢れているよ。