そんな個人商店だけど、1986年から24年間よく続いていると感心させられる。
1986年といったら、まだ昭和の時代だ。
関脇の稀勢の里、ボクシングの亀田興毅、若きアル中セレブのリンジーローハンと同い年でもある。
彼らはまだまだ若い。
しかし、会社としては中々、長続きをしている。
個人商店と言う観点で見れば、街の魚屋、八百屋なら、それでもいいのかもしれないが、れっきとしたホワイトカラーの会社では、正直、異例中の異例と思えてくる。

魚屋と八百屋を引き合いに出される位、前社は会社としては脆弱な基盤しかなかった。
経営者が個人商店とコーポレートという、本来違うべきこの2つが、自分の会社ではごっちゃになっているということが理解出来ていないのが前社だった。
確かに個人商店なら、人もカネも自転車操業ですむからだ。

そういう意識は法規に対する遵守意識にも影響する。
個人商店である以上は、別に大会社みたいに過敏になる必要もない。
そういう考えを持った会社であった。
そのせいか、就業規則だって最近1年前までなかったし、連帯保証人なんて結局とられた試しはなかった。
ま、取りに行く手間が省けるんでいいって言えばいいんだけど。

って言う事は、危機管理能力の有無だって疑われてくるかもしれない。

一昨年、前社は一人の女性を解雇した。
人が辞めるのは日常茶飯事だが、その女性は不当に解雇されたらしく、労働争議の訴えを起こした。
オレは正直、いくら気にくわないことされても、会社を訴えるのは、アリが昆虫に槍一つで立ち向かうに他ならないと思うんで、絶対反対だ。
だいいち、名刺まで辞める時リターンするまさに状況証拠しかない個人が、かたや状況プラス物的証拠の宝庫である会社に勝てるわけがない。
しかし、結果として勝ってしまった。
これは機として、ある種のウェイクアップコール、エスプレッソ的な効果を前社にはもたらせたと思う。
しかし、それまで20年以上もほとんどルールレスでやっていた会社にしてみれば、焼け石に水的ではあったけど。

何をしたか。
会社案内を作った。
タイムカードを入れた。
そして就業規則を作った。

ホント、焼け石に水らしかった。

次に経営状態なんだけど、オレのいた時は2年続けて赤字だった。
このままでは今度こそ潰れる危機だった。
訴えられて負けてはじめて作った会社案内は、正直、やっつけ仕事以外の何者にも見られない。
だいいち、会社の便箋にかっこいい事書いたって、誰が見向きするのだろうか。

要は外国としか仕事していない会社なんで、今までそういうこと考えずにやってきたけど、
じゃあ、「その外国がダメになって、国内にシフトしようとする時どうするのだろう」そのヴィジョンも持っていなければ、それにつけての戦略と戦術だって持ち合わせていない会社だった。

ま、個人商店だ。
そういう難しい事ことを考えなくてもいいかもしれないが、
その代りもっとまともな会社案内作ること考えてもよかったとは思っている。

そのせいか、新規事業の獲得に2年くらい活動しているにもかかわらず、何一つモノになっていない。

やっつけ仕事的な会社案内といい、ここで一番欠けているのは、まさに会社としての理念がどこにもない。

要はモノばかりなんだよな。

だってやっつけの会社案内を読めば読むほどに「モノはこうです。」っていう、まさに軒先においてある商品説明にしかなっていない。

「会社として何のためにあるのか。」また「会社はどのような姿をして社会と共存するのか」の二点がどこにも見当たらない。またあったとしてもはっきりしていない。

ということは、それこそ、会社としての基盤が脆弱であるとしか思えない。

「仕事下さい」と行く先々は、そういうものがしっかりと書かれた会社案内を創業当初から作成しているんだ。

仕事なんてくれるわけない。

ただモノだけ、そしてその対価としての高いフィーのことしかアタマにないっていうこと。

「人」よりも「カネ」が先に来ちゃっているから、コーポレートとしてはおかしい会社になってしまうんだ。

個人商店だって、「その地域に密着しよう」という、明確な理念があるのに。
魚屋も八百屋も「地域に密着する事によって魚や野菜をそこの地域に対し、奉仕する」という事を考えている。

そう考えたら、コーポレートの名前語っていても個人商店以下だよ。

それでも24年間、その経営者はその会社をもたせたんだから、違った意味ですごい人だったんじゃないのかな。